第45回 不常識を非まじめに考えた小学生の特許(米国編)
何が特許になるかというと「不常識(=新しい常識)な発明」が特許になるということになろう。我が師西澤潤一東北大総長は、私の学生時代に「人間は25歳を過ぎたら出がらしだ」と言われて、研究の指導をされていた。25歳を過ぎると、人間の脳の「非まじめ」に考える力が失われて来るのであろう。
似たような話では、IT業界におけるプログラマー35歳限界説というのがあるが、最近10代の活躍がめざましい。例えば、公式戦29連勝の新記録を樹立した将棋の藤井聡太氏は、15歳にして2017年度の勝率一位賞、最多勝利賞、最多対局賞、連勝賞という将棋大賞の4冠を独占してしまった。
中学生の藤井氏の差し手には、先輩棋士が思いつかない「不常識」な手があるという。「不常識」な手は「非まじめ」な脳から生まれるのであろう。
今回は本田技研工業株式会社の創業者本田宗一郎氏の名言「不常識を非真面目にやれ」と共に、小学3年生が発明した特許第3862693号を検討し、どのような発明が特許になるかを考えてみる。
§1 特許出願は誰にでもできる
§2 特許第3862693号は小学3年生が出願した発明
§3 実は山本君の発明は特許庁から拒絶された
§4 「非まじめ」のハエ
§1 特許出願は誰にでもできる
スペインのカタルーニャ出身の建築家アントニオ・ガウディ(Antoni Gaudi 1852-1936)は「世の中に新しい創造などない、あるのはただ発見である」といっている。更に「世界では何も発明されてないんだ。発明家の幸運は神が全人類の目の前に置いたものを見たにすぎない。何千年も前からハエは飛んでるけど、人間が飛行機を作ったのはつい最近になってからだ」ともいっている。
京都大学数理解析研究所元所長の広中平祐先生と本田宗一郎氏との対談で本田氏は、「”不常識“なことを”非真面目”にやれ、ということです。非常識、不真面目じゃなくてね」と述べている(本田宗一郎著、『本田宗一郎は語る 不常識を非真面目にやれ』、講談社インターナショナル株式会社、p.84)。
既にこのコラムの第1回で述べたとおり、特許権が取得できる発明は新しいだけでは足らず、誰にも思いつかない斬新性、即ち「不常識」が要求されている。昭和34年の特許法改正のとき工業所有権法調査委員長を勤め、日本の特許法に進歩性の概念を導入し、「日本特許法の父」と呼ばれる清瀬一郎先生は、「特許ヲ与ウベキ発明」とは、「如何ナル程度迄公知公施ノ事物ト距リ居ルヤ」かが問題であると述べられている(清瀬一郎著、『発明特許制度ノ起源及発達』、(株)学術選書、 p237参照。)。
図1に示すように、従来技術と異なるだけでは不十分で、「不常識」なレベルまで従来技術から隔てられてた技術的思想が、特許法に定められた進歩性がある発明として特許されるのである。
【図1】清瀬一郎先生の「進歩性」の説明(筆者が加工して作図した)
斬新性や不常識と言う意味では知識の豊富な大人よりも小学生の方が発明に適している場合がある。京都大学の山中伸弥教授は、「知識が有りすぎるとリスクに気がついて何もできなくなる」と警告されている。
先の広中先生と本田氏との対談の中で広中先生は、「エジソンの小さいころは、全く非常識ですよ。不常識以上に非常識だね」と述べている(本田宗一郎著、『本田宗一郎は語る 不常識を非真面目にやれ』、講談社インターナショナル株式会社、p.86)。
2018年のNHK連続テレビ小説「半分、青い。」は、ヒロイン楡野鈴愛(矢崎由紗→永野芽郁)が、七転び八起きで、やがて一大発明をなしとげるまでのストーリらしい。 第4話では、鈴愛(矢崎由紗)の幼なじみの小学3年生の萩尾律君(高村佳偉人)が永久機関を研究してノーベル賞を受賞するつもりであるという話が出てきた。
§2 特許第3862693号は小学3年生が出願した発明
以下の図2に示す特許は、山本良太君が富山市立奥田北小学校の3年生のとき特許出願し、6年生のとき特許査定され、権利化された特許第3862693号(発明の名称『忘れ物防止装置』)である。
【図2】山本君の特許公報(特許第3862693号)の最初の頁
山本君は、北陸電カエネルギー科学館「ワンダーラボ」に毎週遊びに行っていたそうである。そして、2003年に「ワンダーラボ」で、「傘の忘れ物が多い」という新聞記事を見たことを技術的課題の契機とし、山本君は、傘の忘れ物をなくすにはどうしたらよいか考え始めたらしい。
その背景には、山本君を育ててくれているシングルマザーのお母さん(千恵子さん)への思いやりがあるという。小学校3年生の山本君は、忘れ物をして、お母さんが一生懸命働いたお金を無駄にしないようにと思ったそうである。
山本君によると、特許発明に至ったアイデアのきっかけは、静かに座っていた猫が突然立ち上がり、お母さんをびっくりさせたことらしい。「止まっているものが突然動くと人間は驚くんだ」とひらめいて、技術的課題を解決する手段を着想したとのことである。
山本君は、「第41回富山県発明とくふう展」に『忘れ物防止装置』を出品した。技術的課題を解決する手段を構造する部品として、廃車トラックのワイパーモーターを採用してそうである。新聞等によると、トランス(変圧器)は山本君が自作したようである。
「第41回富山県発明とくふう展」では発明協会会長奨励賞を受賞した。その後、お母さんを法定代理人として、山本君は2003年11月に『忘れ物防止装置』を特許出願した。約3年後の小6年生になって、山本君は小学生としては日本で初めての特許権(特許第3862693号)取得者になった。
図3に示すように、山本君の発明は、開閉可能な傘部4と、この傘部4を開閉する開閉手段と、この開閉手段を駆動させるセンサ部1とを備えている。開閉手段はモータ3と、モータ3によって傘部4を開閉するクランク機構8とから構造されている。図3に示すセンサ部1によって人間の接近を感知して、傘部4が開閉するようにして、様々な施設において、利用者が傘の置き忘れを防止することができるものである。
【図3】山本君の特許公報(特許第3862693号)に記載された図
実は山本君は、以下のように小中学生の部で、野依科学奨励賞を2004年度~2009年度に6年連続受賞している:
(小4)「光ファイバーの原理を自分の目で見たい」
(小5)「お風呂のシャワーカーテンはなぜ僕にくっ付いてくるのだろう ベルヌーイの定理を体感したい」
(小6)「扇風機で風紋はつくれるか 鳥取砂丘を表現したい」
(中1)『鳴けなくなった鳴き砂を再生させることは出来るか ~鳴き砂は環境汚染のバロメーター~』
(中2)『鳴き砂を水中で鳴かすことは出来るか~砂の唄は地球のハミング~』
(中3)『「富山の砂を鳴き砂にする事は出来るか」~青い地球を未来につなげたい~』
山本君のお母さんは、「私の親が教育熱心で、勉強だけの子ども時代だったので、良太にはいろいろなことをやらせてあげたいと思いました。科学館・児童文化センター・動物園などを連れまわし、私のほうが楽しくなってきました」と、積極的に山本君の発明をサポートされたようである。
このコラムの第19回で紹介した立原正秋氏の「ただしさに裏付けされたやさしさ」が山本君のお母さんに認められると思われる。お母さんは、「閃いたときにはすぐに製作できるように」。山本君の部屋には発明品等をいつも出しっぱなしの状態にしていたようである。山本君は小学校5年のとき、2つ目の特許をさらに出願し、中学3年の2009年になって特許4325872号として権利化している。
【図4】山本君の2番目の特許の公報(特許第4325872号)の最初の頁
§3 実は山本君の発明は特許庁から拒絶された
既に述べたとおり、新しいだけでは、発明は特許にならない。誰にも容易に思いつかない斬新性(これを「進歩性」という。)が、発明が特許として権利化されるためには求められる。山本君の発明は、進歩性がないという理由で、山本君の小学校6年生の夏休みのとき、特許庁の審査官から拒絶されてしまった。
「進歩性」という用語は特許法の条文に現れる用語ではない。又、このコラムの第1回で述べたように、適切な用語ではないという批判もある。最近の知財高裁の最近の判決は「進歩性」という用語を一切用いずに「容易想到」や「容易想到性」なる用語を用いたものが多くなっている。
審査官は、引用文献1として特開2000-187787号公報、引用文献2として実用新案登録第3081374号公報、引用文献3として実用新案登録第3074743号公報を引用し、山本君の発明は、引用文献1~3に記載された発明から容易に考えつくものであるから特許を受けることができないと判断し、山本君の発明を拒絶したのである。
そこで、山本君は、『忘れ物防止装置』の特許出願を担当した弁理士と共に、特許庁に行き、拒絶理由を発した審査官と面談し、拒絶理由に対して承服できないことを説明した。審査官は小学校6年生が面談に来てさぞかし驚いたであろう。
山本君の発明は、人が接近することで傘部が自動的に開閉する装置であり、不特定多数の人が利用するイベント会場等の施設などの人目に付く場所に設置することで、利用者に対して視覚的に携帯品の忘れ物の注意を促すものである。これに対し、引用文献1、2に記載された発明は、携帯品に装着される発信機などと、携帯品の所有者個人が所持する送受信機などとの間で電波信号を受発信し、両者の距離が一定以上離れて電波が届かなくなると送受信機が音や光などでそれを知らせるものであり、山本君の発明と審査官が引用した発明とはその手法が全く異なることを説明した。
即ち、山本君の発明と審査官が引用した発明とはその発明の目的、構造(これを特許では「構成」という。)、発明の効果が異なり、山本君の発明が審査官が引用した発明から容易に発明をすることができるとは考えられないと説明した。
なお、拒絶理由通知において、特許庁の審査官が、「傘を開閉することは装置が大がかりであって設置スペースも大きく、著しく合理性に欠けるものである」と指摘していた。この指摘に対し、山本君の発明は対象者の視覚に訴えるのであるから、ある程度の大きさは必要であることを説明した。そして、山本君の発明は床面ではなく壁面や天井に設置することも考えられることから、その大きさをもって「著しく合理性に欠ける」と審査官が、判断されることについても到底納得できないと説明した。
このように特許庁で審査官と面談し、山本君の発明は引用文献に記載された発明から容易に発明をすることができるものではないことを説明した。更にこの特許庁で説明した内容を後日、意見書という書類にして特許庁に提出することにより、山本君の発明が特許査定され、権利化できたのである。
既に第1回で説明したとおり、西澤先生は、「特許は精神力である。審査官の拒絶理由にそのまま従うな」と研究所内で指導されていた。山本君のように、審査官の拒絶理由に対して反論する精神力が必要なのである。西澤先生の指導された審査官に対する反論の姿勢を、あるパネルディスカッションで同席された元特許庁長官の荒井寿光先生(現東京中小企業投資育成株式会社社長)に申し上げたら、荒井寿光先生も「その通りである」とのご返事であった。
§4 「非まじめ」のハエ
ロボコン創始者で東工大名誉教授の森政弘先生は「3匹のハエ」の話をときどきされるようである(例えば、森政弘著『「非まじめ」のすすめ : ゴミを砂金にする発想』 講談社、p.3-66、参照。)
1匹目のハエは「まじめ」なハエで、部屋の中から外へ出ようとして、窓ガラスにコツンコツンとぶち当たり、なかなか外には出られない。何度もそれを繰り返し、やがてその窓の内側で死んでしまう。
2匹目のハエは、「不まじめ」のハエで、1匹目のハエを見ていて、どうせ外には出られないのだと、ふてくされて、天井の隅に止まって、いつまでもジーッとしていてそのまま死んでしまう。
3匹目のハエは、「非まじめ」のハエで、窓ガラスに一、二度ぶつかったが、外に出られないことを知る。そして、一歩退いて中央の机に止まり、全体を見回して部屋の空気の流れを確かめる。反対方向からは、外の空気が入ってきている。それに気づいたそのハエは、それを感じ取り、その方向に飛び上がり、外に出る事ができた。
という話である。特許される発明に必要なのは3匹目のハエの「非まじめ」である。本田宗一郎氏が生前、「”不常識“なことを”非真面目”にやれ」と、社員に檄を飛ばした所以である。ガウディが「何千年も前からハエは飛んでる」というが、「非まじめ」のハエは少ないのであろう。
【図5】三匹のハエ
辨理士・技術コンサルタント(工学博士 IEEE Life member)鈴木壯兵衞でした。
そうべえ国際特許事務所は非まじめな発明の段階を支援します。
http://www.soh-vehe.jp