第45回 不常識を非まじめに考えた小学生の特許(米国編)
2016年11月17日付け毎日新聞等の新聞各紙によれば、東京都水産物卸売業者協会が、延期に伴う1ヶ月の損害額が4億3500万円になると試算したということである。試算には従業員の人件費や延期で今後必要になる築地市場の設備補修費などが含まれているという。しかし、電気代に関しては「冷凍設備が止められない」というのは、いかがなものであろうか。「止められない」というのは、技術的な問題ではないような気がする。「結露するから」というフレーズが一人歩きをしているのではなかろうか。
§1 「結露するから」という説明の奇妙さ:
水蒸気を含む空気を冷却したとき、凝結(結露)が始まる温度が「露点(露点温度)」であり、空気中に含まれる水分量と露点の間には以下の表1のような関係がある。
【表1】
表1から分かるように、結露は温度が低い程、極く微量の水分量でも発生しやすいのでガス中(気体中)の微量水分量の測定に露点が用いられる。適切な手順で、空気の飽和水蒸気圧(空気中の水分量)で決まる露点よりも高い温度に冷凍庫(冷凍設備)の温度を上昇させれば結露は発生しないはずである。
豊洲市場の冷凍設備は、高さ42メートル、床面積約3000平方メートルの巨大なものらしいので、室温に戻す際には、熱容量の大きさ、熱伝導の悪さ(熱の流れ)、熱履歴によるストレス等を考慮した「適切な手順」が求められるであろう。
密閉性のよい内部空間になっているはずであるが、人間が作業する食品保存用の冷凍設備であれば、冷凍設備の内部の空気に含まれる水分量をppmオーダに制御するのは極めて困難なはずである。よって、豊洲市場の冷凍設備がマイナス60°の低温で稼働しているのであれば、既にどこかに少し結露が発生しているはずである。
逆にいうと冷凍設備というものは、本来結露を予測して、結露に強い構造になるような設計がされているはずである。そして、もし、停止した際に、結露が問題で故障する箇所があるのなら、通常は停止した際に、その故障する恐れのある箇所には結露が生じないような工夫や設計がされているはずである。
即ち、冷凍設備のどこかに(極く僅かかもしれないが)、既に結露している箇所が存在しているはずで、「結露するから冷凍設備が止められない」という説明には、どこかに論理的な矛盾が含まれている。本当に豊洲市場の冷凍保管業者等が「結露するから冷凍設備が止められない」と言っているのかも怪しい。
§2 意のままに停止できない設備や装置は、未完成の技術
そもそも、自然災害、事件・事故や保守点検のための停止ができない設備の建設を東京都が認可したのであろうか。停止ができない設備や装置は未完成の技術である。豊洲市場の冷凍設備の認可者としての東京都の責任が問われるところである。
このコラムの第6回において、以下のような「技術」の4要件を述べた:
(a)一定の目的を達成するための具体的手段であって、設計可能な複数の「要素技術(構成要件)」の有機的結合からなるもの(第1原則);
(b)客観性と再現性があり、「従来の技術」を基礎に「新たな技術」に発展させることができるもの(第2原則);
(c)フェイルセーフであるもの(第3原則);
(d)産業廃棄物を含めて自然と調和可能なもの(第4原則)
この4要件の第3原則でいう「フェイルセーフ」とは、事故やリスクが発生した場合、安全の側に停止できるという技術としての要請であることは、第6回のコラムで説明したとおりである。福島の例のように原子力発電所は、事故により一度暴走したら止められない危険性があり、「フェイルセーフ」ではないので未完成の技術である。
しかし、その、原子力発電所でさえも、保守点検のために停止できるようになっている。保守点検のための停止ができない豊洲市場の冷凍設備とは、一体どのようなものであろうか。東京都は、なぜこの様な未完成の技術に依拠した冷凍設備の建築を許したのであろうか。
豊洲市場の冷凍設備を停止することができないのは結露の問題以外の理由があるのかも知れない。しかし、冷凍設備の停止を阻害している要因を一つ一つ解決していけば、必ず冷凍設備を停止することが可能なはずでる。
実際には、豊洲市場の冷凍設備を停止することには技術的問題はないのかもしれない。むしろ、政治的な意図やマーケティング戦略上の理由等の裏の事情から「止められない」といっているだけかもしれない。もし、本当に、技術的問題が存在するのであれば、豊洲市場の冷凍設備を停止する方法を見いだすように、知恵を絞り、努力するべきである。
§3 専門家の言うことを信じるな:
このコラムの第27回及び第31回で、単一の研究所として世界最多の29名のノーベル受賞者を輩出(2016年現在)しているキャベンディッシュ研究所の「W.L.ブラッグの3原則」について紹介した(Freeman J. Dyson, Physics Today, vol.23, No9, pp23-28, (1970)):
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Bragg’s three rules (ブラッグの3原則)
1.過去の栄光にとらわれることなかれ
(Don't try to revive past glories.)
2. 流行のテーマを追うな
(Don't do things just because they are fashionable.)
3. 理論家の結論したことを信じるな
(Don't be afraid of the scorn of the theoreticians.)
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本当に専門家が理論的根拠に基づいて、「豊洲市場の冷凍設備を止めることができない」と主張しているか否かは不明である。しかし、もし、専門家が「豊洲市場の冷凍設備を止めることができない」と言っているのであれば、豊洲市場の冷凍設備を止める方法を提案すれば、特許性が認められ得る「発明」が誕生することになる。
[例1]
既に第23回のコラムで説明したとおり、西澤潤一先生が、「蒸気圧制御温度差液相成長法」という手法で世界最高輝度の赤色及び緑色の発光ダイオード(LED)を実現した。しかし、液相成長中に液相に化合物半導体の一方の元素の蒸気圧を加えると、結晶成長する半導体中の元素の含有量を高くするように制御できるという提案は、米国の理論学者ジョサイア・ウィラード・ギブズ(Josiah Willard Gibbs)が説く固相・液相・気相の平衡法則に反するとして猛反発を受けた。
1971年の国際学会で批判されてから、18年後の1989年になって、結晶成長国際機構(IOCG)が「蒸気圧制御温度差液相成長法」を認めることとなったのである。理論家の結論したことに反するかのような業績が発明になるのである。
[例2]
1903年にウィルバー・ライト(Wilbur Wright)とオーヴィル・ライト(Orville Wright)の兄弟は有人動力飛行の実験に成功した(米国特許第821,393号)。
【図1】米国特許第821,393号
このとき、ジョン・ホプキンス(Johns Hopkins)大学のサイモン・ニューカム(Simon Newcomb)教授は、「空気よりも重い機械で空を飛ぶなんて、まったく不可能ではないにしても、まず出来そうにないし意味がない(Flight by machines heavier than air is unpractical and insignificant, if not utterly impossible.?)」と述べた。
同様な「機械が飛ぶことは理論的に不可能」という旨の記事やコメントは、サイエンティフィック・アメリカン(Scientific American)、ニューヨーク・タイムズ(The New York Times)やニューヨーク・ヘラルド(the New York Herald)等の理論家も発表していた。
[例3]
1901年のグリエルモ・マルコーニ(Guglielmo Marconi)の大西洋横断通信に際しては、「無線電波は直進するから、電波は丸い地球の大西洋を越えて届かない」という理論家の批判があったが、マルコーニの大西洋横断通信は成功したのである。
【図2】マルコーニの太平洋横断通信
オリヴァー・ヘヴィサイド(Oliver Heaviside)とアーサー・エドウィン・ケネリー(Arthur Edwin Kennelly)が互いに独立にして、電離層の存在を予測したのは、マルコーニの成功を知った後の1902年になってからである。ケネリーは1887-1894年においてトーマス・アルバ・エジソン(Thomas Alva Edison)の配下であり、エジソンと共に、第33回等で説明した電流戦争を戦っている。
その後、1924年になり、エドワード・アップルトン(Edward Victor Appleton)の実験により、ヘヴィサイドとケネリーが予言した電離層の存在が証明されるととも、電離層までの距離が測定された。アップルトンは第31回で説明したキャベンディッシュ研究所の29名のノーベル受賞者のうちの一人である。
[例4]
ロバート・ハッチングズ・ゴダード(Robert Hutchings Goddard)は1913年にロケットの特許を出願し、1914年に米国特許第1102653号として権利化している。更に1914年にもロケットの特許を出願し、1914年に米国特許第1103503号として権利化している。
【図3】米国特許第1102653号
そして、ゴダードは1919年にロケットが真空中を飛べるという論文を発表した("A Method of Reaching Extreme Altitudes”, the Smithsonian Miscellaneous Collections, Vol. 71, No. 2)。
1920年になって、ゴダードは月旅行の可能性を述べたが、ニューヨーク・タイムズ(The New York Times)紙の理論家は、「真空ではロケットは推進不可能」と予測した。1969年のアポロ11号の月着陸の前日、ニューヨーク・タイムズ紙は1920年の社説を「作用と反作用の理解を間違えていた」として撤回した。
以上のとおり、専門家や理論家の予測に反して、例1~例4で示したような偉大な発明が生まれているのである。停止できない理由ではなく、豊洲市場の冷凍設備をどうしたら停止できるかを、模索し工夫するために、頭脳を使う必要がある。知恵を絞らずに、傍観者の立場でいれば、補償等の事情から税金の無駄使いになる可能性もあるのである。
§4 止められないとする技術的な理由は何か
「電気エネルギーを無駄に使わない」ということは個々の事業者の問題としてよりも、人類全体に共通する問題として重要なはずである。2016年11月18日の定例会見で小池知事は豊洲開場後に東京都が払う運営コストが1日あたり約2100万円にも上ることを挙げ「経費削減を指示した」そうである。電気エネルギーの問題は運営のソフトウェアの問題を含めて、いろいろと改善する余地があるはずである。
「常温に戻すと結露するから冷凍設備が止められない」ではなく、「既に結露で傷んでいるので常温に戻せない」という意味であろうか。そうすると、今後は傷んだまま永久に使い続けるということになるのであろうか。もし、豊洲市場を使わなくなったらどうするのであろうか。
簡単には、停止した際に結露で故障する箇所は、露点の低い高純度のガスでパージするようにして、時間をかけてマイナス60°から、準平衡的に徐々に常温に戻すようにすれば良いはずである。
日本工業規格 窒素 JIS K1107:2005によれば1級窒素の露点は−65℃以下、2級窒素の露点は−60 ℃以下と定められている。高純度窒素ガスになれば露点は−80℃以下のものが市販されているので、露点の低いガスでパージすることには困難性はないであろう。
マイナス196℃(77°K)の液体窒素を製造する液体窒素製造装置等も、常温に戻して保守点検ができるようになっている。例えば、少し古いが、フィリップス社のスターリングサイクル型の窒素液化機は1~2週間の連続運転の後、毎回、常温に戻していたはずである。
それでも、万が一、停止による結露が問題で新設に75億円をかけた冷凍設備が故障するというのであれば、その故障した箇所のみを修理すれば良いはずである。その故障した箇所の修理費と冷凍設備全体の運転費を比較して、豊洲市場の冷凍設備全体を運転しつづけるのか、停止するのかを決定すればよいのだが、そのような議論は聞こえてこない。
一ヶ月300万円という電気代の根拠も怪しい。もし、どうしても停止できないのなら、その部分のみに切り詰める、極めて限定された運転費になるはずであろうが、どのような計算がされているのであろうか。
現在の豊洲市場の冷凍設備が、露点の低い高純度のガスでパージするような構造になっていない、又は、設備を徐々に室温に戻すように温度制御が出来ない構造になっていない、というのであろうか。もしそういう事情であれば、高純度のガスでパージするような構造や、設備を徐々に室温に戻すようにするための改造費用がいくらかかり、冷凍設備全体の運転費がいくらかかるかという比較の議論になるはずであるが、そのような議論は聞こえてこない。
設備を徐々に室温に戻すのは、断続運転すれば可能であろうから、殆ど豊洲市場の冷凍設備の改造費用は必要ではないように思われる。これから気温が下がり、湿度も低下する季節になるのであるから、すぐにでも豊洲市場の冷凍設備を停止する準備を始めるべきである。
小池知事の発表によれば、豊洲市場の移転までには未だ1年以上あるようである。豊洲市場の冷凍設備は、2016年8月下旬から約2月かけてマイナス60°まで徐々に冷やし込んだとされているので、又2月かけてゆっくり室温まで戻せば、コンクリートやその他の壁材等に対する熱履歴によるストレス等の影響も防げるはずである。
豊洲市場の冷凍設備の外壁には吹付け硬質ウレタンフォーム断熱材や冷蔵庫用の鋼板断熱パネルが使用されているようなので、熱履歴によるストレス等の影響は軽減できるように設計されているのかも知れない。
コンクリートは既にマイナス162℃の液化天然ガスの貯蔵用タンクの構造材として数多く使われており、マイナス60℃程度では劣化しないと思われる。ただし、コンクリートは熱膨張係数が常温からマイナス30℃までが収縮、マイナス30℃からマイナス70℃までが膨張のように変化するので、常温に戻すときの残留歪みには注意が必要と思われる。
結露でコンクリートが痛むのであろうか。それとも、硬質ウレタンフォーム断熱材や鋼板断熱パネルが痛むのであろうか。
辨理士・技術コンサルタント(工学博士 IEEE Life member)鈴木壯兵衞でした。
そうべえ国際特許事務所ホームページ http://www.soh-vehe.jp