第29回 青森県の特許の登録率が全国平均よりも低いのは何故か?
§1 オープン&クローズ戦略:
東京大学 政策ビジョン研究センターの小川紘一先生の定義に従えば、「オープン」とは、製造業のグローバライゼーションを積極的に活用しながら、世界中の知識・知恵を集め、そして自社/自国の技術と製品を戦略的に普及させる仕組みづくりを意味し、「クローズ」とは、価値の源泉として守るべき技術領域を事前に決め、これを自社の外、或いは自国の外へ伝搬させない仕組みづくりを意味するということである(小川紘一『オープン&クローズ戦略』翔泳社参照。)。
第14回では、知財マネジメントマップを用いたポジショニング分析を説明した。今回は、知財マネジメントマップをもとに、どのような弁別フローに従って、その弁別フローのそれぞれの手順でどのような判断し、特許権として公開すべき技術とノウハウとして秘匿すべき技術とを弁別するのかを説明する。
§2 弁別フローの第1ステップ:
不正競争防止法第2条第6項に定める「営業秘密」の要件は
①秘密管理性
②有用性
③非公知性
の3つである。
このうち、②の「有用性」とは、事業活動に有用な情報であることを意味する。例えば、保有することにより経済活動の中で優位な地位を占めることができるような情報であること。このため、有用性のある情報には、失敗に関する情報等、潜在的な価値のある情報や、将来の事業に活用できる情報も含まれる。
前回(第14回)、2014年9月の文部科学省科学技術・学術政策研究所第2研究グループの調査結果として、特許は、約3年くらいで競合他社が迂回発明をすることを説明した。以下も、前回と同じ「民間企業の研究活動に関する調査報告2013 (NISTEP REPORT No.160)」のデータから筆者が作成した業種別に整理した「競合他社が迂回発明を特許出願するまでの平均期間」のグラフである。
青山学院大学法学部教授の菊池 純一先生は、特許資産の価値は時間とともに陳腐化する
という「知財アウトカム(与益)論理」を発表している(J. Kikuchi, “Outcome Management of Intellectual Assets”, International Journal of Intellectual Property, Law, Economy and Management 1 (2005) , pp47-51 )。
上のグラフから分かるように、業種により多少違いがあるものの、特許は約3年くらいで競合他社が迂回発明を特許出願してくるのであり、特許技術は陳腐化するものであり、陳腐化という外部環境の変化により、これに伴い、自社の価値の源泉として守るべき技術の有用性も時間と共に変化するものである。
したがって、以下の弁別フローの第1ステップの判断は時間に依存するのでステップS1(t1)と表記している。同様にステップS2~ステップS4も時間に依存する表記にしている。即ち、公開すべき技術と秘匿すべき技術との弁別の判断は時間に依存し、外部環境の変化に応じて見直しが必要であるということである。
いずれにせよ、ステップS1(t1)では、不正競争防止法第2条第6項の3要件を考慮して、秘密の管理が可能かを判断する。秘密の管理が可能でない場合は、特許出願を検討する。ステップS1(t1)で秘密の管理が可能であると判断された場合は、ステップS2(t2)に進む。
1996年にスティーブ・ジョブズ(Steve Jobs)が復帰した後のアップル社では、情報管理が徹底され、機密漏洩者は即刻クビとなり、ドアの開け閉めもチェックされたと言われている。
2010年に三星電子が元社員が冷蔵庫の設計図などを中国大手家電企業に売り渡そうとした事件があったが、この事件をきっかけとして、三星電子は
(a)R&D部門のコンピュータの保存機能をなくす
(b)会社の出入り時に複雑かつ厳密な保安規定を適用
(c)コピー用紙に特殊処理をして社員が会社の外に持ち出せないようにする
等の厳密な管理体制を採用したようである。
§3 弁別フローの第2~第4ステップ:
弁別フローのステップS2(t2)では、第14回で説明した知財マネジメントマップを用いて、ポジショニング分析をし、全体として公開しても良い技術か否かを判断する。ポジショニング分析で公開しても良いと判断された場合は、特許出願を検討する。ステップS2(t2)で全体を公開できないと判断された場合は、ステップS3(t3)に進む。
弁別フローのステップS3(t3)では知財マネジメントマップを用いて再度ポジショニング分析をし、一部に公開しても良い技術要素が有るか否かを判断する。ポジショニング分析で公開しても良い技術要素が有ると判断された場合は、その技術要素に関してのみの特許出願を検討し、他のコアとなる技術は秘匿する。ステップS3(t3)で部分的にも公開できないと判断された場合は、ステップS4(t4)に進む。
ステップS3(t3)では
(a)競業他社に構造の一部しか分からないようにする(分解したら壊れる)
(b) 競業他社に工程の一部や材料が分からないようにする
(c)効果のみを公開する
等の工夫が必要になる。
弁別フローのステップS4(t4)では、侵害立証が可能か否かを判断する。侵害立証が可能と判断された場合は、侵害立証が可能でかつ、コアとなるノウハウ技術にはならない技術要素に関してのみの特許出願を検討し、他のコアとなる技術は秘匿する。ステップS4(t4)で侵害立証が可能でないと判断された場合は、ノウハウとして秘匿する。
§4 難しい第3及び第4ステップの判断:
弁別フローのステップS3(t3)でのポジショニング分析で公開しても良い技術要素が有ると判断された場合でも、その技術要素がコアとなる技術要素であれば、特許出願ではなくノウハウとして秘匿すべきである。
同様に、弁別フローのステップS4(t4)で侵害立証が可能と判断された場合でも、その技術要素がコアとなる技術要素であれば、特許出願ではなくノウハウとして秘匿すべきである。
『商品仕入先情報事件(大阪地裁 平成17年(ワ)第2682号)』では、「このような秘密管理性が要件とされているのは、…(中略)…保護されるべき情報とそうでない情報とが明確に区別されていなければ、その取得、使用又は開示を行おうとする者にとって、当該行為が不正であるかを知り得ず、……。」との説示がされ、ノウハウの技術的な外延が不明確であることが指摘されている。
また、『退職従業員による技術流出事件(東京地裁平成18年(ワ)第29160号)』では、「発酵条件や精製方法が同一でない複数のコエンザイムQ10を比較した結果、そこに含まれる類縁物質の含有割合が近似しているかといって、それらの製造に用いられた生産菌の同一性が確認できるものでないことは明らかである」との説示がされ、ノウハウの技術的な外延を明示しなければノウハウの保護が出来ないことが分かる。
このように、ノウハウの保護は予めその技術的な外延を明確にしておくことが必要であり、このためには以下のように、保護すべきノウハウ技術とセットになる特許技術を「擬秘匿境界」を示す塀としておき、塀の内部に侵入すれば侵害したものとみなすようにして、家の内部に秘匿したノウハウ技術は決して外部に見せないような工夫が必要である。
§5 多値論理によるオープン&クローズ戦略:
ノウハウが盗まれたことを立証するためにノウハウ技術の漏洩を検知する「擬秘匿境界」としての塀を設け、ノウハウを保護した家の周りを庭で緩衝地帯として囲むことは、オープン&クローズ戦略がオープン(1)又はクローズ(0)の2値(0,1)の論理ではないことを意味している。
即ち、弁別フローのステップS3(t3)で一部に公開しても良い技術要素が有る否かの判定する手順は、オープン&クローズ戦略が以下のような多値の論理であり、一部を特許出願によりオープンとして、残余のコア技術はノウハウとして秘匿することを示している。
ステップS3(t3)やステップS4(t4)では、何を「擬秘匿境界」として開示し、何を秘匿するかの技術の水平展開が必要になってくる。兵庫県の特殊発條興業(株)の場合、主力製品の波型ばね座金(SPAK)の自動製造装置の特許取得後、特許権の存続期間満了後も、波型ばね座金の製造方法をノウハウとして秘匿しているのは、擬秘匿境界としての特許権の有効利用法であろう。
2001年に波型ばね座金(SPAK)はJISに制定されている。1960年代に取得した初期の特許権の存続期間が既に満了してしまっているが、ノウハウを秘匿した特殊発條興業(株)の波型ばね座金(SPAK)の生産量は世界一を誇り、国内シェアーは70%を占めるそうである。
なお、ノウハウと特許の弁別のみでは「オープン&クローズ戦略」は不十分である。関連する論文、学会発表、外部へのプロモーション等のタイミングや内容にも十分に留意しなければ、「オープン&クローズ戦略」は実効性のないものとなってしまう。
即ち、「オープン&クローズ戦略」には特許(Patent)、技術ノウハウ(Production know-how)、論文(Paper)の3Pとプロモーション(Promotion)のPを足した
3P+P
が重要である。
辨理士・技術コンサルタント(工学博士 IEEE Life member)鈴木壯兵衞でした。
そうべえ国際特許事務所ホームページ http://www.soh-vehe.jp