小学生の親御さん必見!「だれでもできる読書感想文の書き方 その①あらすじのまとめ方」
かねてお知らせしております通り、言問学舎ではこのほど、主として高校3年生に森鷗外の『舞姫』をわかりやすく、かつ深く学んでもらえる「スーパー読解『舞姫』」を発行致しました。制作資金の一部に充てるためクラウドファンディングを5月11日より募集してまいりましたが(「CAMPFIRE」にて)、6月14日の締め切りまで、あと3日となりました。
本書を用いた授業を、すでに開始しておりますが、生徒たちの反応からみられる『舞姫』指導上のポイントと本書の特長は、以下のようなところです(この部分は前回の記事の再掲となります)。
たとえばドイツの大学に留学した豊太郎が、「自由なる大学の風にあたりたればにや(自由な大学の空気の中で生きてきたためだろうか)」、「きのふまでの我ならぬ我を攻むるに似たり(昨日までの自分でない自分を責めるように思われる)」というくだりは、豊太郎(もしくは鷗外)が「自我に目覚める」作品といわれる根拠となる部分ですが、「そのような心境に至ったのはなぜだと思うか」とたずねてみると、スパッと答えることはなかなか難しいようです。
「スーパー読解『舞姫』」では、この部分の模範解答(記述例)を次のように示してあります。
<日本の封建的社会の空気の中で育った豊太郎だから、生きる道も、学問も仕事も、すべて家、親、上司から与えられるものを忠実に処理するだけの「昨日までの自分でない自分」であったが、西欧の大学の自由な空気の中で自己の存在を第一義に考える「自由」を知り、自分自身が本当に生きる道を見つけるべきだと思うようになったから。>
また、この少しあとに出て来る豊太郎の「弱く、ふびんなる心」なども、深く注意を向けずに読みすすんでしまう生徒も、少なからずいるようです。
逐語的な解釈を順々にすすめるだけでなく、こうした作品全体にかかわる重要部分を手がかりとして差し出し、深く考えさせた上で模範解答(記述例)を示して十全の理解をはかる、それが「スーパー読解『舞姫』」の特色です(逐語的な解釈については、編著者小田原漂情自身の手による全文現代語訳を付してあります)。
言問学舎の刊行物ですから、高校3年生を主対象とする国語教材となってはおりますが、かつて『舞姫』を読んで心に残った大学生以上の年代の方にも、楽しんでいただける本になっています。終盤にきてご支援が増えておりますが、率直に言って目標額到達までにはまだかなりの道のりがあります。最後の3日間、ぜひみなさまのご支援をいただけますよう、よろしくお願い申し上げます。
https://camp-fire.jp/projects/view/671016?utm_campaign=cp_po_share_c_msg_backers_index
クラウドファンディングCAMPFIRE 「スーパー読解『舞姫』」