国語における危機感の共有を

小田原漂情

小田原漂情

テーマ:国語

 「危機感」と言っても、新型コロナウイルス禍について言うのではありません。無論そのことと無関係でもないのですが、子どもたちの「国語力」、とりわけ「読みとる力」の低下について、杞憂ではなく、ひとつの危機感を表明しようという意図であります。

 「読みとる力」とは、「国語」の範疇で言うなら、文章を読んで、その文章が伝えようとしている意図や背景を正しく受けとり、さらにはそこから自分自身の身にひきつけて自身の考えを組み立てる力のことを指します。あるいはもっと単純に、「算数」の文章題で、問われている内容、何を答えるべきかということを、的確にとらえる力のことでもあります。

 この「読みとる力」の低下を、私は近年、とりわけ強く感じています。算数の文章題のことは、2010年に立ち上げた言問学舎ホームページの「国語力の重要性」の項でも、図解入りで取り上げてありますが、その記事を作った11年前と比べても、同じ条件で「問いの意味がわからない」子の比率が確実に増えています。国語についても同様、あるいはさらに深刻であると言えるかも知れません。

 私は2010年前後から、こうした国語力、読みとる力の低下は、デジタル的なものの社会への浸透が一因ではないかと考え、発信してきました。文章を読んで何かを見つけ出すということは、主体的な、アクティブな営為ですが、デジタル的なものは、それと比べれば明らかに受け身の部分が大きいです。答えは待っていれば出て来ることが多いでしょうし、そもそも「答えを見つける」方向に、環境も学習者も置かれるというのが本質的な性格でありましょう。しかし文章を読んで内容を読みとることは、「(用意されている)答えを見つける」こととは異なり、学習者自身が自分の心(さらに言えば存在)と対話して、自分なりの受けとめ方を決定することであり(意識していなくとも、そういう営為だという意味で)、「待ち」ではなく、「攻め」の行動なのです。

 また、文章を読むことは、時にしんどいことでもあり、おのずと忍耐力を要求される場合もあります。当然、「結果」を得るまでに、時間を要することもあるのです。

 コロナ禍に翻弄されるうち、時代は2020年代に入っていますが、いま現在、多くの子どもたちに、先述した本質的な「攻め」の学びの姿勢と、学びの場での忍耐力が、大きく欠けていることに気づかされます。それは今世紀に入ってからの、デジタル的なものの身めぐりへの浸潤と、大人の社会がより強く結果を求めるようになり、それが子どもたちの学びの世界にも及んでいることが、もたらしているのではないでしょうか。

 真の国語を教える立場からの危機感を、少しでも多くの方に共有していただくことを切に願って、筆を置きます。

※言問学舎としての取り組みは、前回5月24日のコラム<AI時代だからこそ、「読む力」を育てましょう!>として公開済みです。ぜひご一読下さい。

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小田原漂情
専門家

小田原漂情(学習塾塾長)

有限会社 言問学舎

自らが歌人・小説家です。小説、評論、詩歌、文法すべて、生徒が「わかる」指導をします。また「国語の楽しさ」を教えるプロです。みな国語が好きになります。歌集・小説等著書多数、詩の朗読も公開中です!

小田原漂情プロは朝日新聞が厳正なる審査をした登録専門家です

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