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小田原漂情

国語力に定評がある文京区の総合学習塾教師

小田原漂情(おだわらひょうじょう) / 学習塾塾長

有限会社 言問学舎

コラム

9年を経た今日、いま、言えること

2020年3月11日 公開 / 2021年3月1日更新

テーマ:小田原漂情

コラムカテゴリ:スクール・習い事

 東日本大震災(東北地方太平洋沖地震)から、満9年の月日が流れすぎました。言問学舎ホームページ塾長ブログに掲載した文章を、転載させていただきます。常体の文章であるうえ、9年前の文章の引用を含む点も、何卒ご容赦下さい。


 9年前のあの日も、春期休業中で、私は一人で塾の中にいた。その夜書いた文章に、当日のことは詳しく書いてある。あとで振り返ることを考えて書いたものだから、ここで全文を引用したい。

 <マグニチュード8.8、宮城県で震度7を観測した大地震。この日のことは、当日のうちに記しておくべきだろう(午前零時を過ぎ、日付は変わっているが)。
 はじめ、カタカタと塾の入口の引き戸が揺れ出した。外で子どもの声がしていたし、風のせいか、あるいはやんちゃな子どもたちが戸口のすぐそばまで来て、ふざけっこでもしているのかと思っていた。
 しかしそれにしては、何か変だ。戸はカタカタと揺れているが、子どもの気配がない。いくら風が強くても、こんなに小刻みに、しかも規則正しく扉が音を立てるだろうか。不思議に思って、戸口まで立って行って、開けてみた。やはりそこには子どもの姿もないし、かといって他の異常も認められない。
 腑に落ちぬままパソコンデスクの前に戻り、作業をしていると、今度は体に、ゆるやかな振動が伝わってくる。「あ、地震だったのか!」
 反射的に戸口へと駆けもどり、まず引き戸を片方全開にして、揺れの様子を確かめていると、はじめは過去にも覚えのある、震度4ぐらいの揺れのように感じられた。ただ不気味なことに、それがだんだん強くなり、幾度も増幅するように激しさを増してゆく。
 経験したことのない強さの揺れになると、考えられるのは、「どこまで強くなるのだろう」「いつ終ってくれるのか」ということだけになる。
 ビルが揺れていた。もしかしたら、それは自分の足元と、電線などの揺れのために、そう思えただけなのかも知れない。しかしたしかに、自分自身の足元と、周囲の対象物が揺れていたのだ。
 これは、おそらく「震度5強」であったと思われる、私の会社での記録に過ぎない(東京都文京区西片2丁目)。東北地方を中心として、深甚な被害に遭われた方々には、能天気に過ぎる記述であることを自覚する。
 それでもこのような事態が起こった時、それをリアルタイムで記述しておくことに、私は自分の物書きとしての定めを感じ、実行しなければならないのだ。
 生きのびうる命が生きのびられることだけを切に願って、筆を置く。>言問ねこ塾長日記Vol.36「2011年3月11日」(同年3月12日午前1時37分投稿)
注)マグニチュードは、その後9.0に訂正された。

 あの日、そのまま言問学舎に泊まり込み、日付が変わってしばらくしてから書き上げて、投稿した記事である。私自身はこの時点で、太平洋岸を襲った津波の巨大さを知らなかった。そしてこの投稿をした3月12日以降、信じがたいほど多くの方々が犠牲になっのだ。

 東日本大震災のあの時も、前日まで、いや揺れはじめる直前まで、私だけでなくおそらく誰もが、あのような凄惨な事態が起こるとは、微塵も考えていなかっただろう。その点は現在のわが国、のみならず世界においても同じであろうが、特に注意すべきだと思うのは、3か月前に確認された新型コロナウイルスの感染拡大に警戒をつづけて来ながら、ことによると人智の及ばない未曾有の事態になるかも知れない怖れと、終わりを見通すことのできない焦燥に、人々の心が弱って(あるいはすさんで)いるのではなかろうか、ということである。

 東日本大震災の時は、都内に住んでいるわれわれは、経験のない揺れに震え上がりはしたものの、直接生命の危険にさらされる度合いは低かった。特に3月後半からは、東北の被災地のことを案じることと、福島第一原発の事故の影響を懸念して動きの止まってしまった市況に苦しむ日々がつづいた。現在、日本各地で消費が落ち込み、中小事業者の苦境が知らされる。廃業の報を見ることも多い。リーマンショック、東日本大震災、消費税8%増税時の大不況をかろうじて乗り越えてきた私にとって、決して他人ごとではない。

 だが、このような時だからこそ、言えること、誓うべきことがあると思う。それは自分自身に課せられた「なすべき仕事」を、何としてもやりぬくことである。先に引用した東日本大震災のあと、この塾長ブログ上で同様に誓ったことのいくつかは、私としてはなし終えた。未だ実行途上のものもあるし、結果的には果たせなかったこともある。しかし、なすべきことをなそうとする時、人には力が生まれて来るし、見ていてくれる人もいる。もちろんその限りでない場合のあることも知り尽くしているからこそ、それでも今、私は己のなすべきことに、すべての力を注ごうと思うのである。子どもたちの教育のために、できることをすべてやること。そして子どもたちの国語の力を伸ばすことに、全力を尽くすことである。

 9年前のあの日をふりかえること、そのこと自体が、また新しい力を与えてくれる。そのようにして、生きつづける、それしかないのだ。信じて力を尽くした先に、必ず新しい展開、新しい希望が訪れるはずである。いま言えることは、ただそれだけだ。

令和2年(2020年)3月11日
小田原漂情

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