国語のアクティブラーニング‐おくればせながら今年の抱負として

小田原漂情

小田原漂情

テーマ:国語

 今年もまた、中学受験を終え、大学受験の一般入試がはじまり、さらに今週の金曜日から、高校受験の生徒たちが、それぞれの挑戦をはじめる時期となりました。

 大学を卒業してそのまま教職に就いた友人たちがすでに30年以上、こうしたなりわいを重ねていることを思えば、まだその半分にも満たぬ15年目なのですが、それでもずいぶん長い間、受験生たちと苦楽をともにして来た思いがあります。もちろん、「教育」にたずさわりはじめたのは二十代の半ばからですから、ほぼ半生を、この教育という場の一端にかかわって来たのではありますが。

 かえりみれば、私自身は歌人として、二十代から三十代半ばまでは、短歌という場を、生きる上での主たる場所としていました。文学上の立脚点は別として、いくつかの偶然が、四十前後から、「塾」という私教育の現場で生きることを、私の身の上に課したのです。むろん短歌が主体であった時期、それが生業だったわけではありません。そのころ生業として勤めていた出版社での経験が、今の私の生業のきっかけとなっております。 

 そしてまた、そのころ「塾」という仕事は、自分には向かないものだと思っていました。30年以上教職をつづけている友人たちが往時から有していたのであろう、教えることへの熱情が、若いころの私にはなかったからです。人、すなわち子どもの一生を左右することとなりうる重い職責は、二十歳過ぎの自分には負い切れぬと、その年代の私は、考えていたのでありました。

 そのことが正解だったのかどうかは、わかりません。ただ、二十代の頃には、自らそれを負う覚悟がなかったことは、間違いありません。そして四十代にこの小さな塾をはじめ、五十半ばにさしかかろうとしている今の私には、たぶん「子どもの一生を左右する」可能性の自覚は、ありすぎるほどあるだろうと思われます。それゆえに、日々、のんびりしている子どもたちへの焦燥は、つのるばかりかも知れません。早く君たちも自覚しろと、ずつと前から言いつづけているつもりなのですが、この数年の子どもたちの集中力のなさ、あちらこちらへの気の散りようには、正直なところ危惧を覚えます。

 この、散乱しがちな子どもたちの注意を集めるために、ICT教育、アクティブラーニングとして脚光を浴びているものは、たぶん大きな効果を持っているでしょう。もちろんそれらは、目先の注意を引くだけのものではなく、これからの新しい時代の可能性を追究するために、教育の重要な方向性を指し示していると、私も考えます。

 しかし、「国語のアクティブラーニング」は、目新しい手法の中にではなく、言葉そのもの、文章そのものの中にあるのだということを、今年は呼びかける年にしなければならないとも、考えています。昨年から手がけている新機軸を、大きく進発させる年にしたいものです。


国語力に定評がある文京区の総合学習塾教師
小田原漂情
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小田原漂情
専門家

小田原漂情(学習塾塾長)

有限会社 言問学舎

<真の国語>とは?正解を見つける力ではなく、文章の本質を読みとり、自分の身に引きつけて、生きた考えを組み立てられる力のことです。それをすべての生徒が「わかる」ように、かつ「楽しく」指導します。

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