「桜草短歌会」第1回歌会・吟行会「詳報」を掲載しました!

小田原漂情

小田原漂情

テーマ:国語

 すでにお伝えしました通り、去る5月17日(日)、言問学舎を会場として、「桜草短歌会」第1回歌会・吟行会を開催しました。

 「吟行会」では、JR田端駅から動坂を経由して、千駄木5丁目の「髙村光太郎旧居(アトリエ)跡」、「髙村光雲・豊周遺宅跡」をたずねましたが、これにはある程度解説が必要と思いますので、本コラムですこしお話しさせていただこうと思います。

 詩人・彫刻家の髙村光太郎(1883~1956)は、戦前、現在の千駄木5丁目にあたる旧駒込林町に、アトリエを構えていました。すぐ近くに邸のあった父、光雲に建ててもらったもので(代わりに家督を放棄)、ここで24年間、智恵子との結婚生活を送ったのです(智恵子は転地療養や入院のため、晩年は不在)。

 ところで、このアトリエや光太郎と智恵子のことを詳しく伝えてくれる本の一つに、室生犀星(1889~1962)の『我が愛する詩人の伝記』があります。私は犀星さんも、高校時代に親しく馴染んだ詩人なのですが(もちろん読書において、です)、「1910年前後」(100年以上前です)、田端に住んでいた犀星さんは、毎日のように、光太郎さんのアトリエの前を通って、白山まで出かけたそうです。

 当時、「髙村光太郎」は『スバル』誌に堂々と詩を発表しており、まだ有力な雑誌に発表する機会のなかった「室生犀星」は、光太郎さんに激しい羨望と、嫉(そね)みとを抱いていたのだと言います。さらに、意を決してアトリエをたずねた時、「たかむらはいまるすでございます」という事務的な言葉と「ツメタイ目」で智恵子さんにあしらわれたということが、『我が愛する詩人の伝記』の「髙村光太郎」の項に書かれています。

 少し補足すると、智恵子さんの「ツメタイ目」とは、ただ一人尊敬し熱愛する夫(髙村光太郎)だけに無上の愛を注ぎ、その他の男性は一顧だにしない、智恵子さんならではの一途な愛情を強調するものであり、決して得意な相手ではないながらも、畏敬する髙村光太郎の妻である智恵子さんに対しての深い思いを持った上で、室生犀星一流の表現として書かれているものです。

 私は光太郎さんのアトリエの跡は幾度かたずねていましたが、犀星さんが嫉みを抱いて毎日歩いた田端からの道は、まだ歩いたことがありませんでした。そこで今回、桜草短歌会発足記念吟行会を好機として、犀星さんの「青春の彷徨」の跡をたどり、その胸中を思いみたのでありました。

 この田端からの道や、犀星さんと光太郎さん、智恵子さんのことなども短歌に詠みこんだ「桜草短歌会」第1回歌会・吟行会の歌会記詳報を、掲載しました。ぜひお目通し下さい。
 
『美し言の葉』桜草短歌会歌会記 をご覧下さい。



後方、高いビルのあるあたりが田端駅

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小田原漂情
専門家

小田原漂情(学習塾塾長)

有限会社 言問学舎

自らが歌人・小説家です。小説、評論、詩歌、文法すべて、生徒が「わかる」指導をします。また「国語の楽しさ」を教えるプロです。みな国語が好きになります。歌集・小説等著書多数、詩の朗読も公開中です!

小田原漂情プロは朝日新聞が厳正なる審査をした登録専門家です

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