【井川塾長の受験生時代】慶應大学数学科から、早稲田大学英文科に、文転!
2026年9月2日(水曜日):
午前4時:
(2026年9月2日の)塾長:井川治久からのメッセージ:
おはようございます。
(東京)井川塾・受験英語学院、
塾長の
(開成高校OB、早稲田大学・英文科OB)
井川治久(いかわ・はるひさ)
です。
(祝)★11周年★「マイベストプロ東京、井川治久塾長コラム」
◆2026年9月1日に、
この
◆「マイベストプロ東京」の「井川治久(塾長)コラム」
◆「井川治久塾長の大学受験英語お役立ちコラム」は、
★(祝)11周年
を、迎えました。
★12年目の「井川コラム」スタート
です。
(バカ正直な井川塾長)だから続く。「継続は、力なり」はホント!
・・・・・・・「もう、コラム、やめるんでしょ(??)」
と聞かれたりするのですが、
・・・・・・冗談でしょ。
・・・・・・・▲「だれが、そんな事を、明言したんですか(??)」
★★★「そんなに、簡単には、『ちゃんとしたモノ』を、やめませんよ(!!)」
・・・・・・・生徒たちに、
・・・・・・・親子に、
★★★「継続は、力なり」
と、
(伝統的に)教え込んできた「井川」ですからね。
「井川治久の受験英語クラス」1984年4月からのヒストリー:
【井川治久の受験英語クラス、1984年から~2026年現在までの歴史(要点)】
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◆(1984年4月~)・・・・・・東京都豊島区長崎3丁目(★現地)の「6畳1室」で、井川治久が早稲田大学・第一文学部・英文科2年生の4月に「井川受験英語塾」を開く。当時は、「1クラス5名制」が「売り」で、「長方形の食卓」を囲んで、主に、小学校6年生、中学生、高校生の生徒たちが、集まった。開塾時の「井川受験英語塾」の「広告ビラ」は(今はなき)近所の印刷屋さんで合計「1万枚」を印刷してもらい、(同級生にも手伝ってもらい)自分の足で歩いて「1万枚のポスト投函」を行なったところ、生徒が2名、集まり。その後、近所で「うわさ」となり、生徒が増えていった。
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◆(1987年1月~2000年12月)・・・・・・早稲田大学・英文科3年生の時、1985年7月1日に、自分の足で歩いて見つけ交渉した(今はなき)新声社という出版社から『マル秘・英語暗記するだけ』(井川治久・著)という本を「学生出版」した。(監修は、恩師の、田島稔先生に、お願いした。)これが、功を奏して、1987年1月4日に、高田馬場に在る(学校法人)早稲田予備校の「大教室(当時200名~300名教室)」に「マイクを握ってカリスマ英語講師、井川治久」として、予備校業界にデビュー。(早稲田予備校の守谷務(元)理事長。秋田佳子(元)校長。守谷たつみ(現)理事長には、特に、御世話になった。)1996年からは母校の代ゼミの教壇でも「熱血講義」を遂行していた。・・・・・・大活躍の末、「過労が拭えなく」なり、2000年12月13日に、「予備校業界」を引退した。
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◆(2001年~2014年)・・・・・・予備校業界引退後、「ある名医のススメ」で、「スローライフ」に、転向した。「いったん、全てを、やめて」「ゆっくり休んでください!」この「素晴らしいアドバイス」のお陰で、体調が、徐々に、良くなっていった。・・・・・・「授業スタイル」も、集団授業をやめて、「マンツーマン授業」に、転向した。(今はなき)「光が丘新聞」という地域の新聞社の新聞に「広告」を掲載することによって、井川治久主催の「ネオ開成塾」(当時:東京都練馬区田柄1丁目にあった)は、2014年末までは、生徒が、少数ではあるが、集まっていた。・・・・・・生徒たちが、2014年度をもって「全員、卒塾」し、閉塾した。
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◆(2015年~2026年・現在)・・・・・・2015年度になって、「原点」に立ち返り、「我が人生で、最初に開塾した」地元、豊島区長崎3丁目に、戻って来た。1984年当初の名称は「井川受験英語塾」であったが、「井川塾・受験英語学院」という塾名で、スタート。(近所に昔あった印刷屋さんは無くなっていたので)自分の足で、近所を歩き回って、「歯科医療印刷株式会社」という印刷屋さんを見つけて、広告チラシの印刷とポスト投函を依頼した。それに加えて、「自分の足で歩いて」ポスト投函を、何日にもわたって、おこなった。(これは、我が早稲田大学2年生の当時におこなった「自分の足で歩いてポスト投函をする」という「ビラ配りの勉強」を、ふたたび、実行したものである。「足が棒になった」が「実行した」という「自己満足感」が、得られた。)・・・・・・しかしながら、(当たり前のことだが)急には、生徒が、集まらず。。。。やはり、インターネット上のどこかに、「ネット広告を出すべきだろうか(?)」と、考え始めたのが、「2015年の夏休み」だった。ネットサーフィンをして、遊んでいたところ、偶然にも、出くわしたのが、「朝日新聞マイベストプロ東京」の「コラム」だった。・・・・・・これは、「おもしろい(!)」と感じて、ボクにも、「コラムの連載」をさせてもらえないかしら(!)ということで、この「マイベストプロ東京、井川治久コラム」のサイトが、誕生したのでした。(また、途中、2020年6月から、2025年5月までは「西武池袋線、江古田駅の改札口の鏡にも、井川塾・受験英語学院の駅広告」を、5年間にわたって掲載。ボク、井川治久は、何を隠そう「地元を走る西武鉄道のファン」なのです。)
(山あり、谷ありの)2015年から2026年の「11年間」
・・・・・・「山あり、谷ありの11年間」でしたね。時に、生徒が「ゼロ」になったり、「急に問合せが増えたり」と。
・・・・・・上記、皆さまのお陰で、この11年間、有意義に、やって来られたことに、心より、感謝します。
(映像講義中心の世の中で)マンツーマン生授業の「需要」は?
・・・・・・ただ、2026年9月、今後は、
◆◆◆「映像授業」中心の世の中に・・・・・・変化してしまったという理由で、
・・・・・・我が井川塾のような:
◆◆◆「人間が、親身になって、ナマで行なうマンツーマン英語専門塾」
に対する「需要」
は、激減すると、予想できます。
「人間が、親身になって、熱情をもって行う授業」の価値は存続する
・・・・・・ただ、ただ、
◆◆◆「人間が、親身になって、熱情をもって、目の前で、ひとり一人の生徒に、手堅く」遂行するマンツーマン授業
を、実際に、受けることによって、
★★★「人生における、やる気を、人生において、初めて、出す」という高校生、浪人生も、いる(!)
わけですから、
というか、
★★★我が42年間の「受験英語教授人生」において、現に、そういう「目覚める生徒」
が、数多く、いた(!)
わけです。
「人間が目の前で発する熱情」は「やる気を出す、目覚める」原動力
◆我が井川治久の「残りの人生」を、
★★★「やる気、本気というモノを、出したい」「本気で、英語の仕組みを、理解してみたい」という中学生、高校生、浪人生のために、
◆「井川治久の英語演習マンツーマン授業」を、受けられるチャンス提供の「貴重な場」「希少な環境」
として、
★今後も、毎月、(この世に生きる限り)週2回の「開塾日」を、もうけたい
と、考えております。
(生徒がゼロの時でも)週2回は、開けておきます。チャンス提供!
・・・・・・生徒が「ゼロ」の時でも、週2回は、開けておきますので、
★「井川治久の授業の真価」に、お気づきの際は、留守電メッセージに「お名前」「電話番号」「学校名」「学年」「井川先生に習いたいという旨のメッセージ」を、吹き込んでください。(翌日の23時までに、井川塾長本人から、折り返し、お電話を、差し上げます。)
「10畳の教室に、生徒1人、塾長1人」で授業に「熱中」できます。
【狭い教室が、苦手という高校生、浪人生、中学生、小学生、大歓迎】:
【人目を、気にせず、マイペースで、英語を、習いたい人、大歓迎】
【電車で通塾、大歓迎】:
TOKYO,JAPAN
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