中国医学には欠かせない三大古典のお話
今回は、日本における漢方の歴史にとって重要な転機を紹介します。
今日の漢方医学の主流派ともなっている古方派は、江戸時代に始まりました。観念的な理論を排除して積み重ねられた経験を重んじ、古来より存在する傷寒論や金匱要略方論へ立ち返ることを目的としています。
そのため、時に後世派と激しく対立することもあったようです。
古方派では、ぜひ3人の人物を知っていて欲しいと思います。
●名古屋玄医
古方派の始祖とされ、それまで主流であった後世派を排除して古典を重視していた人物です。
彼は実に多くの書物を読んでいましたが、強く影響を受けたのが明の喩嘉言の著「傷寒尚論」です。
この書物がきっかけで名古屋玄医は張仲景を師と仰ぐようになり、後世派の根幹である李朱医学を排していくのです。
●後藤艮山
名古屋玄医が古方派の祖であるならば、彼は古方派を確固たるものにした人物です。しかし、名古屋玄医に師事して弟子になったわけではなく、入門を断られたので自力で学んだという経緯があります。
彼は名古屋玄医のように傷寒論だけではなく、効果がある民間療法や灸、温泉療法も取り入れたことは名古屋玄医と異なる点です。貧しい暮らしの中で医学を学んだ経験から、救民のために尽くしたので慕われており、患者も門人も非常に多く抱えていました。
●香川修庵
後藤艮山に医学を学んだ彼は、同時に儒学を伊藤仁斎から学ぶことで、儒と医は元来ひとつであるという儒医一本説を唱えた人物です。
彼はまた、自身でその薬効を確認して効果が確かなものだけを記録した書物、「一本堂薬選」を記しています。この書物は物事を実証的にみているなど、過去の方法や視点に縛られない姿勢がうかがえる一冊です。
この頃になると、彼を筆頭とした古方派は後世を厳しく批判していくことになります。そして、古方派はその後、山脇東洋や吉増東洞といった人物により発展の一途を辿っていくのです。