無差別殺人を考える
先日、女子中学生が長い間監禁されていたというニュースがありました。女の子を持つ親としては、とてもショックで心配な事件です。娘には遅くなった時は「タクシーを使いなさい」とか「車に連れ込まれそうになったら、進行方向とは逆に逃げなさい」など、そんなことしか言えません。事件の被害にあった子は、どんなに恐怖で辛い思いをし、これから先の心の傷を思うと気の毒でなりません。
このニュースで「なぜずっと逃げられなかったのだろう」と思う方もいると思いますが、人は、平穏な日常から突然拉致され、人権を奪われ、監禁されると激しい恐怖や不安などに支配されます。被害者は体が鎖につながれていなくても、様々な心理的作用で逃げることが出来ない場合が多いのです。「逃げきれなかったらどうしよう・・・殺される」という思いで勇気が持てない事も多くあります。私たちが普通に感じている精神状態ではありません。今、簡単だと思う判断も出来なくなってしまいます。
加害者は、実際の暴力だけではなく、言葉の脅し、言葉の暴力で相手を支配し、恥辱を与え、殺されそうな不安を植え付けます。そして些細な恩恵を与え、加害者に依存させ、被害者は心の傷を深くしていきます。 こういう犯罪を起こす加害者は、異常なファンタジーを持っています。
被害者女性を自分のものと考え、支配し、さらに進んで従うことを望み、自分の世界を作ろうとします。自分が被害者に怖がられ、嫌われている事も理解していない場合もあり、加害者は「被害者を大切にしている」と思い込んでいる事もあります。 そして加害者は、自己中心的で残忍、自我が未成熟な幼稚な人間が多く、また悪知恵が働き、力を持つ人間が多いと言われます。通常であれば誘拐事件が成功することは、日本ではほとんどないと分かっている事です。
犯人が捕まると、自分の家族には「申し訳ない」と言いますが、その気持ちを他人に対しても感じることができればと残念に思います。 自分の家族や自分が思う感情は誰にでもあり、自分のために人を犠牲にしていい事なんてありえません。自分で勝手に想像する事は自由ですが、現実に行動を起こしたその先の人生、自分の家族や未来、他人の人生もしっかりと考える想像力を持つことができれば犯罪が少しでも減るのではないでしょうか。