世界7大無駄使い「ベルリン新空港」
明治時代に起きた「足尾鉱毒問題」の解決のために尽力し、波瀾に富んだ生涯を送った「田中正造」(1841年~1913年)の生家です。
南側の県道に面して「表門」が、その右側に2階建ての「隠居所」があり、その奥に「母屋」と「土蔵」が続きます。
「隠居所」については、昭和24年(1949年)から「公民館」として使用された時期もあったそうです。
昭和32年(1957年)8月30日には「栃木県指定史跡」となり、平成5年(1993年)の「栃木県史跡追加指定」時に、「田中正造邸宅」から「田中正造旧宅」へと名称が変更されています。
平成2年(1990年)3月には、県道拡幅工事に伴い保存修理が行われ、「母屋」「土蔵」等の改修工事が行われています。
「田中正造旧宅」の維持管理は、現在「小中農教倶楽部」が行い、一般公開もされています。
「田中正造旧宅」は「JR佐野駅」「東武佐野市駅」から車で15分、「佐野藤岡IC」から車で30分の場所にあり、 当時の暮らしを再現した建物と「田中正造」に関する資料を見ることができます。
(讀賣新聞:2017.05.03 抜粋)
タウ・プロジェクトマネジメンツ一級建築士事務所