「大阪ハリストス正教会」:木造ビザンチン様式
11月12日・13日の2日間、同学園が保有する「登録有形文化財」である「樟徳館(しょうとくかん)」(東大阪市菱屋西2)を一般公開されます。
「樟徳学園」の創立者である「森平蔵」は1875(明治8)年に兵庫県で生まれ、16歳で大阪市内の木材商に見習い奉公に入り、26歳で独立開業し、独立後は木材販売や植林業で成功をおさめ、木材を運搬する船舶に着目して汽船会社を設立しました。
「大正」初期の大阪は、商家の子女を中心に教育に対する意識が高まっていましたが、学校数が不足していたことから、「森平蔵」は私財を投じて「高等女学校」の設立を決意し、1917(大正6)年に設置認可を受けて、翌1918年に「樟蔭高等女学校」が開校されました。
「樟徳館」は、帝国キネマ映画「長瀬撮影所」の跡地に、1939(昭和14)年の完成まで7年の歳月をかけて建築した私邸です。
現在では入手困難な銘木を日本中から集め、原木から製材するための専用の製材所を隣地に設けるなど材木にこだわり、「関西で最高の松普請」といわれる大正モダンの香り漂う住居を築きました。
その後、遺志により同学園に寄贈され「樟徳館」と名付けられたそうです。
建築面積は1305㎡で、外観は純和風、内観は和洋折衷の装飾が施されているのが特徴で、「応接室」は天井には大きなクスノキの一枚板、壁には西陣綴(つづ)れ織のクロス、曲線を用いた火灯(花頭)窓など、当時の最高技術が集結され、2000年には「造形の規範となり、再現が容易でないもの」として、母屋・土蔵・鎮守社・門・東塀・南塀の6点が国の「登録有形文化財」に登録されました。
現在では、NHK連続テレビ小説「あさが来た」や「カーネーション」など、ドラマの撮影にも使われています。
過去の一般公開時には、地域の人や建築関係者、建築に関心のある学生など、2日間で約2000人が来場したそうで、一般公開する2日間は「樟徳館の魅力」と題し、説明会を各日11時からと13時からの2回行う予定だといいます。
(讀賣新聞16.11.10抜粋)
タウ・プロジェクトマネジメンツ一級建築士事務所