世界7大無駄使い「ベルリン新空港」
「恭仁京」は天平12年(740年)に「聖武天皇」が造営を命じ、 同16年(744年)に「難波宮」に遷都して廃都になるまでのわずか3年あまりの間、都とされました。
以前は「幻の京」ともいわれていましたが、故「足利健亮」氏の研究や近年の発掘調査によってその実在が確認さましれた。
「恭仁宮」はその中心となる宮殿で、加茂町の例幣に遺跡があり、国の史跡に指定されています。 「大極殿」は「平城京」から移築するなど大急ぎで建設され、やがて、「難波の宮」に都が移転され、廃都となってからは、「大極殿」は「山城国分寺」に転用されました。
いまは、「碑文」が往時の栄華を伝えています。
「京都府教育委員会」は、天皇による朝礼など、儀式や供宴を行った「朝堂」が、正方形に近い異例の形だったと発表しました。
当時の主流は長方形ですが、「京都府教育委員会」は、宮域全体が狭く、配置しやすいコンパクトな形にする必要があったとみています。
《讀賣新聞13.11.30》
タウ・プロジェクトマネジメンツ一級建築士事務所