「大阪ハリストス正教会」:木造ビザンチン様式
「金隈遺跡」は、福岡平野の東部「御笠川」に沿って南北に伸びている「月隈(つきぐま)丘陵」のほぼ真ん中あたりに位置しています。
近くには、日本でも最古の水田跡の一つと言われる「板付遺跡」や、すこし南下した春日市には、奴国の中心地ではないかと推測される「須久岡本(すくおかもと)遺跡」などがあり、この一帯はまさしく「弥生時代」の遺跡の宝庫のようです。
昭和43年、桃畑の開墾作業中にこの遺跡は発見されました。「福岡市教育委員会」の発掘調査の結果、「弥生時代」の大規模な共同墓地の跡として、学問的にも非常に価値の高い遺跡であることが判明し、昭和47年には国指定の史跡となり長く保存されることになったとのこと。
「金隈遺跡」は「墳墓」で、紀元前2世紀頃(弥生時代前期の中頃)から西暦2世紀頃(弥生後期前半)まで、約400年に渡って使用された弥生人達の共同墓地の跡です。「副葬品」や「埋蔵物」には、「鏡」などの権力者が保有していたと見られるものが全くないことから、【一般弥生人である庶民達の墓地】であることが確認されています。
(讀賣新聞:13.09.11)
タウ・プロジェクトマネジメンツ一級建築士事務所