「アールヌーヴォー」の名建築「オルタ美術館」(ブリュッセル)訪問
「鹿屋航空基地」は、戦場において「航空機」による攻撃の有効性が認められてきた時期に「艦上戦闘機」と「陸上攻撃機」の基地として昭和1年に建設されました。
「日中戦争」初期には「第1連合航空隊司令部」が置かれ、大戦末期には「第5航空艦隊」の司令部として、「菊水作戦」を行う中心基地となっていました。
また、基地の近くには「鹿屋海軍工廠」も置かれ、兵器の改良・開発等も行われていました。終戦と共に「米第5空軍」が進駐し、昭和23年まで駐屯していました。
「朝鮮戦争」の勃発と共に「警察予備隊」が発足すると、「警察予備隊鹿屋駐屯地」が造られ、昭和27年には「保安隊 第12連隊鹿屋駐屯地」へと新偏されました。
昭和29年には「海上自衛隊鹿屋航空基地」となり、現在は「第1航空群」が置かれ、周辺海域防備の要の基地となっています。
「自衛隊」の基地として使用され始めた頃は、建物には爆弾痕・弾痕が多数あり、「格納庫」は空襲時に外壁が吹き飛ばされたため鉄骨だけで、敷地内には多数の爆弾痕が残り、まるで廃墟のようだったといいます。
これらの施設も基地の拡充と共に逐次補修され、建て替えられていったそうです。
日本各地に「自衛隊」の施設がありますが、これらは旧軍時代の施設跡に入っているため、「自衛隊」の駐屯地には、旧軍時代の遺構が多く見受けられるとのことです。
(讀賣新聞:13.08.28)
タウ・プロジェクトマネジメンツ一級建築士事務所