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『日本書紀』や『続日本紀』に記された「難波宮」の所在地は、昭和29年(1954年)から開始され、「山根徳太郎氏」を中心とする発掘調査により、現在の史跡指定地にあることが明らかにされました。
その後の調査により、2時期の「宮殿」遺構があることがわかり、「前期難波宮」「後期難波宮」と呼び分けています。
「前期難波宮」の遺構には火災痕跡があり、朱鳥元年(686年)に焼失した「天武天皇」の「難波宮」にあたり、その創建は「大化改新」ののち、「孝徳天皇」により造営された「難波長柄豊碕宮」と考えられています。
また、「後期難波宮」は「聖武天皇」によって再建された「難波宮」です。
「史跡公園」内には復元された「後期難波宮」の「大極殿基壇」や「前期難波宮」の「八角形建物」などが立体的に遺構表示され、「大阪歴史博物館」の地下には「前期難波宮」の「倉庫群の遺構」が保存、一般公開されています。
発掘調査は続いていますが、その姿は謎に包まれたままです。和泉市父鬼町、製材業「北野真也さん」と、友人の岐阜県羽島市、宮大工「吉永安孝さん」は、その実像に迫ろうと、独自の図面を作製し研究を重ねているといいます。
(讀賣新聞:13.08.22)
タウ・プロジェクトマネジメンツ一級建築士事務所