「大阪ハリストス正教会」:木造ビザンチン様式
「人吉城」は熊本県人吉市麓町にある平山城跡です。「相良氏」が「鎌倉時代」に地頭として「人吉荘」に赴任して以来、35代670年のにわたり在城し、「江戸時代」には「人吉藩」の藩庁で、国の史跡にも指定されています。
市内中央部を流れる「球磨川」の南側に位置し、「球磨川」とその支流「胸川」の合流点の山に築かれ、北側と西側は「球磨川」と「胸川」を天然の堀とし、東側と南側は山の斜面と崖を天然の城壁として、巧みに自然を利用しています。
「球磨川」沿いに「三の丸」を配し、その南に「二の丸」が、丘陵上に「本丸」が配された、梯郭式の平山城です。「本丸」には天守は築かれず「護摩堂」があったといわれています。
幕末に築かれた石垣の一部には、ヨーロッパの築城技術である「槹出工法」(はねだしこうほう)を応用した「武者返し」と呼ばれる独特の石垣があります。この「武者返し」は城壁最上部に平らな石がやや突き出して積まれ、「ねずみ返し」のように城壁越えを阻止すると共に、簡単に落下させられ、城壁に張り付いた敵への攻撃にも使えるようになっています。
この城壁は、他に函館の「五稜郭」と「鶴岡城」にしかない珍しいものですが、いずれも「人吉城」の石垣程の規模はないとのことです。
現在の城跡は「人吉城公園」として整備され、櫓や塀が復元されています。また、城址の西側には「人吉市役所」、「相良護国神社」があります。
《讀賣新聞13.07.17》
タウ・プロジェクトマネジメンツ一級建築士事務所