「アールヌーヴォー」の名建築「オルタ美術館」(ブリュッセル)訪問
昭和56年(1981年)、滋賀県守山市伊勢町、阿村(あむら)町、栗東市野尻(のじり)にかけて、弥生時代後期の巨大な集落遺跡が広がっていることがわかり、その後、平成19年3月までに実施した104次にわたる発掘調査で、「伊勢遺跡」は東西約700m、南北約450mの楕円形状に形成されていることが明らかになっています。
集落が営まれた時代は、縄文時代後期から室町時代で、最も栄えた時代は弥生時代後期(紀元1~2世紀)といわれています。
遺跡は、南と北にある低地に挟まれた微高地にあり、東から西にかけて傾斜する土地にあります。
弥生時代後期の建物跡には、「竪穴住居」と「掘立柱建物」の2種類の建物跡があり、「竪穴住居」の平面形には円形と方形そして五角形の3種類があります。「掘立柱建物」の規模には大小が見られ、ここでは床面積が30㎡以上のものを大型建物と呼んでいるとのこと。遺跡の西半部には「竪穴住居」が広がり、東半部にも竪穴住居が造られるようになります。
遺跡の西側では、溝を挟んで「方形周溝墓」が築かれていますが、弥生時代集落の有力者の墓域であったと推定されます。遺跡の東端では、幅約7m、深さ2m以上もある大きな堀のような大溝があり、
北側は「方形周溝墓」、南側は、旧河道であったと推定されます。
《讀賣新聞13.05.22》
タウ・プロジェクトマネジメンツ一級建築士事務所