「大阪ハリストス正教会」:木造ビザンチン様式
山梨県南巨摩郡富士川町にある「旧舂米学校」は明治9年(1876年)に建てられたもので、木造2階建て、寄棟、桟瓦葺、外壁は白漆喰で仕上げられ、屋根には6角形の「太鼓楼」が設えられています。
玄関ポーチは大きく張り出し、上部が「バルコニー」で、正面2階の「バルコニー」と連続しています。「バルコニー」部の曲線屋根や、縦長の上げ下げ窓、開口部上部の半円形デザインなど、洋風建築の要素が取り入れられ、当時の山梨県令「藤村紫朗」の命で計画されたことから「藤村式建築」とも呼ばれています。「旧舂米学校」は明治21年(1888年)に「増穂尋常小学校」の本館、大正10年(1921年)に「増穂村役場庁舎」として利用され、昭和49年(1974年)に現在地に移築され、現在は資料館として一般に公開されています。
《讀賣新聞13.04.10夕刊》
タウ・プロジェクトマネジメンツ一級建築士事務所