大人ピアノ指導法:「気軽・喜び・集い」を提供するために
「初めて両手にチャレンジする際、どのように指導すればわかりやすいでしょうか?」
今回は、このテーマについてお話ししたいと思います。
第九の体験会でのレクチャー方法として、これまでもお伝えしてまいりましたが、今日はあらためて復習を兼ねて、皆さまにわかりやすく整理してお届けいたします。
まずは“音名”ではなく“指番号”から入る
体験会には、まったく初めての方もいらっしゃれば、すでに少し弾ける方がご一緒になることもあります。そんな場面で大切なのは、誰もが安心して参加できる入り口をつくることです。
そこでまず、右手を出していただきます。
そして、
「太い指から、1・2・3・4・5です」
「ではご一緒に、太い指から、1・2・3・4・5」
「もう一度、1・2・3・4・5」
と、指番号を声に出して確認していただきます。
そのうえで、
「はい、これで弾けます」
とお伝えするのです。
このひと言で、参加者の方の中に「できるかもしれない」という安心感が生まれます。初めての方にとって、最初のハードルは“音楽そのもの”よりも、“難しそう”という気持ちだからです。
次に行うのは「空中指さばきの術」
指番号をお伝えしたあとは、すぐに鍵盤へ行くのではなく、まずは空中で指を動かす練習
をします。
たとえば第九であれば、楽譜に書かれている「3・3・4・5」などの数字を見ながら、右手を出していただき、声に出して一緒にたどっていきます。
このとき大切なのは、
楽譜を見ながら、声に出しながら、空中で指を動かすということです。
いきなり「ミ・ミ・ファ・ソ」と音名で入るのではなく、第一回目はあくまで
「3・3・4・5」
という指番号で進めます。
慣れてこられた段階で、
「ミ・ミ・ファ・ソ」
という音名へつなげていけばよいのです。
初回は、まず「指数字で弾ける」という実感を持っていただくことが何より大切です。これだけでも、参加者の方の不安は大きく軽減されます。
鍵盤に手を置いたら、「できた」を必ず体感していただく
空中での確認ができたら、実際に鍵盤に手を置いていただきます。
「ミの音のところに“3”と書いてありますので、ミのところにポチッと置いてください」
「そのまま、4を下ろしてみましょう」
「次は5です」
「もう一度、5、4、3、2」
このように、一つずつ丁寧に導いていきます。
そして最後に、
「手を離さないで、目を開けてください。レのところに行けた方、おめでとうございます」
と、確認と喜びをセットでお伝えするのです。
これによって、「私は弾けた」「ちゃんとできた」という感覚が、その場で生まれます。
技術を教える前に、まずは成功体験をお渡しすること。これがとても大切です。
左手指導で大切なのは、「音を伸ばす」ではなく「押したまま」
右手のあと、左手に入ります。
たとえば「シ」と書いてあれば、
「シを一本指でポチッと押して、今日はここを四拍伸ばしましょう」
とお伝えすることになります。
けれども、このときによく起こることがあります。
それは、四拍伸ばすつもりでも、途中で指を離してしまわれることです。
そのとき、先生方はつい
「伸ばしてください」
とおっしゃることがあります。けれども、初めての方にとっては、「音を伸ばす」という表現そのものが、実はわかりにくいのです。
「伸ばすって、どうすることですか?」
という状態なのです。
そういうときには、
「鍵盤を押したままにしてください」と伝えてみてください。
すると、特に70代後半の方などでも、「ああ、押したままに、ですね」と、すっと理解してくださいます。
指導では、こちらにとって当たり前の言葉が、相手にとっては当たり前でないことがよくあります。
だからこそ、専門的な言い回しよりも、動作がそのまま伝わる言葉を選ぶことが大切なのです。
左手が間に合わないときは、「点」ではなく「エリア」で教える
両手に入ると、左手の動きが少し忙しくなる箇所があります。
第九でも、途中で左手が二拍ずつ変わっていく場面がありますが、こうしたところで、どうしても次の音に間に合わない方が出てきます。
たとえば、何度弾いても
「あ、ここに次の音があった」
と、そのたびに新鮮な驚きのように感じてしまわれることがあります。
そんなとき、先生方は注意のために丸印を書かれることがありますね。
けれども、この印のつけ方が非常に重要です。
多くの方は、「次に行くべき音」だけに丸をつけようとされます。
しかし、実はそれだけではうまくいかないことが多いのです。
大切なのは、一つの音だけを囲むのではなく、その部分全体を“エリア”として括ること
です。
つまり、
「ここまではこのエリア」
「次はこのエリア」
と、まとまりで見えるようにしてあげるのです。
そうすると、弾く人の中で感覚が変わります。
「今はこの場所を弾いている」
「次は次の場所へ移る」
というように、視線も手も自然についていきやすくなるのです。
これは第九に限ったことではありません。
ほかの曲でも、少しの工夫でぐんと弾きやすくなることはよくあります。
指導とは、難しさを増やすことではなく、見え方を変えて差し上げることでもあるのです。
フリータイムで気をつけたい、「教えすぎ」の落とし穴
右手、左手とお伝えしたあと、フリータイムに入ることがあります。
このとき、必ずと言ってよいほど、少し経験のある方がいらっしゃいます。
その方は心の中で、
「右手くらいなら、もうさらっと弾けるのに」
と思っておられるかもしれません。
そこで先生が気をつけたいのは、その“お上手な方”に教えすぎないことです。
慣れていないと、先生はつい、その方に一生懸命対応してしまいます。
しかも、経験者の方は質問も的確です。
「もっと美しいアレンジにするにはどうしたらいいですか?」
「少し難しい弾き方もできますか?」
そう聞かれると、先生としては嬉しくなって、熱心にお答えしたくなるものです。
けれども、その横には、右手だけでも必死に練習しておられる方がいらっしゃいます。
その方の目には、
「あの方はお上手だから、先生も熱心に教えておられる」
「やっぱり私はそこまで見てもらえないのかしら」
と映ってしまうことがあるのです。
しかも不思議なことに、教え込まれた経験者の方の満足度が、それで必ずしも高まるわけでもありません。
よい関係は、「必要なときに、必要なだけ」
ここで、ひとつ例えをお話しします。
お洋服屋さんで、黄色にしようか、緑にしようか迷っているとします。
そのとき店員さんと目が合い、近づいてきて、
「緑はいま人気ですよ」
と一言伝えて、また少し離れてくださる。
これは、とても心地よい関係です。
ところが、そのあともずっとそばにいて、
「こちらは夏にもおすすめで、さらにこういう着こなしもできて…」
と延々と説明が続いたら、少ししんどく感じることがあります。
レッスンも同じです。
声をかけることは大切です。
けれども、ある程度弾ける方には、少し任せて、少し離れて見守ることも必要です。
つまり、
教えないことが、よい指導になる場面もあるということです。
これは、経験者の方への配慮であると同時に、初めての方を安心させる空気づくりにもつながります。
初めての両手指導で大切なのは、「できる形」にして渡すこと
初めて両手に挑戦される方に対して、先生がすべきことは、難しいことをそのまま伝えることではありません。
その方が受け取れる形にして、わかるように、できるように、お渡しすることです。
指番号から入ること。
空中で指を動かすこと。
「伸ばす」ではなく「押したまま」と伝えること。
音を点で見せず、エリアで見せること。
そして、必要以上に教えすぎないこと。
こうしたひとつひとつの工夫によって、初めての両手が「難しいもの」ではなく、
「私にもできるもの」へと変わっていきます。
大人の方、とりわけ中高年の方への指導では、技術以上に、安心感と納得感が大切です。
その積み重ねが、自信となり、継続につながっていくのです。
どうぞ、初めての両手指導の場面で、こうした伝え方をぜひ意識してみてください。
ほんの少しの工夫が、生徒さんの大きな一歩を支えてくれるはずです。


