言葉に囚われすぎると本質を見誤る
一休禅師が臨終の際、弟子の1人が、
「和尚、死んでどこへいかれます」と尋ねた。
すると、「我れ死ねど どこへも往かぬ
ここに居る。尋ねはするな、ものはいわぬぞ」
と答えられたという。
禅師の答えは、「どこへも行くこともない
ここにいるではないか。ただ、死ぬのかと、
問われても答えられないだけだ。」という
ものであった。
一般的には、死ぬと地獄とか極楽(天国)に
行くと言われています。
ところが、禅の世界では、こういう考え方は
取らないということなのです。
有り体に言えば、死後の世界を否定している
というわけです。
死後の世界があると思うことは、心の囚われに
過ぎないという考え方なんですね。
「無から生じ、無心に生きて、無に帰る」
それが、禅の生き方、人の生き方だと示している
わけです。
私達は、禅の修行僧ではありませんが、残りの
人生そのように生きてみたいものです。
このような生き方を体現できたら、まさに
「今(この瞬間)生ききる」ということに
なるのでしょうね。