相手目線に立つ
あるとき、8歳の息子のカバンを整理していた妻が、小さく折り畳まれた複数枚の紙を見つけ、
「これ何?要るの?要らんの?」
と息子にたずねた。
息子は「要らん」と一言。
その言葉を受けて、妻がその紙を握りつぶした瞬間、
息子が烈火のごとく怒った。
「学校持って行くのにぐちゃぐちゃにしたらあかんやん!」
と。
どうやら、息子の言葉は「今は必要ない」という意味だったらしい。
そのあとは、妻も息子もケロッとして、何事もなかったかのようにしているので、私は関与しない。
とはいえ、この手のやりとりでの行き違いは、職場でもありますよね。
お互いもう少し丁寧に、受け手目線で言葉を使っていたら、もめないのに・・・
そんなこと多々あります。
信頼関係があれば、多少の行き違いがあってもどうにかなります。
それがないと、本当に些細な行き違いで、ケンカになったり、
どちらか、もしくは両方が不快になり、互いに陰口合戦になってしまう。
よく、信用と信頼が比較されます。
「信用」は、相手を信じるのに条件がつく。
住宅ローンやカードでお金を借りる際の、融資の信用情報審査がまさにそう。
条件をクリアしたら信用して融資するけど、クリアしなかったら融資しない。
それに対して、「信頼」は、掛け値なく相手を信じること。
すべてとは言いませんが、親子関係などは条件をつけなくても信じますよね。
「すべてとは言いません」と書きましたが、親子だから必ず信頼関係があるというわけでもない。
やはり、信頼関係は「築く」もの。
家族だろうが、職場だろうが、築こうと思えば信頼関係は築けるし、
努力しなければ信頼関係なんて自然発生しない。
大事なのは、「歩み寄る一歩」が踏み出せるかどうか。
相手が歩み寄るかどうかは、相手の問題。
自分が歩み寄るかどうかは、自分次第。