指導する側、される側
「社員のミスを指摘したらダメなんですか?」
アドラー心理学ベースのコーチングコミュニケーションをお伝えしていると、
管理職の方からこんな質問を受けることがあります。
アドラー心理学を象徴的する理論に、「目的論」というものがあります。
「人間の行動には、すべて目的がある」というもの。
この対比に、フロイトの「原因論」があります。
「人間の行動には、すべて原因がある」というもの。
例えば、寝坊して会社に遅刻したとします。
社員が遅刻すれば、上司は「なんで遅刻したんだ?」と原因を追究します。
遅刻したのには「寝坊」という原因があり、寝坊しないようにしなさい!という指摘を受けます。
これが、「原因論」
非常にわかりやすい話です。
なので、その寝坊を解決すれば、遅刻はなくなるわけですが、
寝坊しちゃいけない、と思えば思うほど、どんなに目覚ましをセットしても寝坊してしまう、ってことありますよね?
人によっては、「意志が弱いからだ」と根性論を持ち出すこともありますが、
心理学的には、「意識したところが増える」と言われていて、「寝坊しちゃいけない」と思えば思うほど寝坊してしまうんです。
目的論では、原因に意識を向けるのではなく、目的に意識を向けます。
遅刻をなくしたいのなら、「早く出社する目的」が明確になればいい。
例えば、早く出社すると、美味しいコーヒーを入れてもらえる、としましょう。
「美味しいコーヒーを飲んで気持ちよく1日のスタートを切りたい」という目的が明確になると、早起きできるようになります。
これが、目的論です。
なので、原因(ダメなところ)は指摘せず、目的(良いところ)に意識を向ける、というのが、
原因追求しちゃいけない、と捉えられてしまうんてすが、そうではありません。
まず、原因を特定しないと、物事の解決は図れません。
次に、目的を明確にします。
ココに目的論が出てきますが、だからといってすぐに原因から目を背けるのではなく、
その目的に近づくアプローチを考えます。
例えば、生活態度が乱れていて、一度ビシッと指摘したほうが目的に近づくと思われるなら、原因を取り除くような指導でいいでしょう。
でも、真面目にやっているのに、なぜか朝だけは起きられない、というのであれば、厳しい指摘は逆効果になる可能性があります。
そういう場合に、目的論で良いイメージをもってもらうほうが目的に近づく。
どちらを選択するかは、相手や場面によって変わります。
ということで、目的論が「原因追求をしない」ということではないんですが、誤解されることが多い。
アドラーは、幸せの心理学、と言われているせいもあり、優しい、甘いという印象を持つ方が多いですが、決してそんなことはないんです。