期待と評価
介護関係のお仕事をされている方は、
「介護のような大変なお仕事をされるくらいですから、優しいんですね」
と言われたことが一度や二度はあると思います。
昔から、一般の方のイメージはそうなんですよね。
私も若い頃から数えきれないほど言ってもらいましたが、言われるたびに心の中で「違うんだけどなあ」と思っていました。
もちろん、そう言っていただけること自体はうれしいですし、ありがたいことなんですが、
自分が優しい人間かどうかは自分自身が一番よくわかっていますし、みんな優しかったら人間関係のトラブルなんて起きないですよね。
なので、
私は優しくなんてないし、介護関係者がみんな優しいわけじゃないって毎度毎度心の中で反論してました。
アドラー心理学、コーチングコミュニケーションを指導させていただくようになり、
「仏様」のように言われることも出てきて、さらに歯痒さを感じることもあります。
私は「アドラーの理」を仕事でもプライベートでも実践しています。
それは断言できますが、だからといって、何があっても怒らないわけでもないし、落ち込まないわけでもない。
愚痴ってしまうこともあれば、意に沿わない人を排除したくなることだってあります。
だって、人間だもの。
ただ、そういう自分の価値観とは違うことが起こった時に、
感情が動いた自分に気づき、受け入れ、
それを踏まえたうえで、
どんな未来を望むのか、自分はどうすればその未来に近づくのかを考えているだけ。
その結果、
相手を責めたり、不機嫌な表情をしたりするより、
アサーティブに伝えたり、その場は抑えたりしたほうがいい、という結論に至るから、それを実践しているだけ。
介護の現場で仕事をしていた時は、アドラーのことは知らなかったですが、
同じようなことを考えていました。
職場で気に入らない同僚や上司がいたとしても、
「あいつの言動は理解できないよ!辞めてくれたらいいのに」
って、思いながら仕事するのと、
「自分とは違うことをやっているけど、あの人なりの考えがあるんだろうな」
って、思うのとでは、
自分自身の表情も口調も行動も違ってきます。
どちらのほうが自分自身気持ちよく仕事ができて、職場の雰囲気や生産性がプラスになるかを考える。
それでも、相手を責めたいなら、責めてもいい。
その結果、意外とうまくいくこともあるかもしれないし、スッキリして前向きに仕事に取り組めるかもしれない。
大事なのは、
「あいつのせいで、こうなった」と思うのではなく、
自分の選択で決めること。