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今年の司法試験で18歳の高校生が合格したと話題になった。最年長合格者は69歳だったそうだ。この種の報道に触れるたび、自分のときのことが思い出される。
私は大学の理工系を卒業した。卒業後はいたって普通に就職し、メーカーの技術者になった。しかし、会社員としての階段を上るよりも、最新の技術にいつまでも触れていたい気持ちが強かった。そんな立場にいられるのではないかと思い、30代後半で弁理士になった。弁理士となって法律に触れるうち、今度は法律の面白さにひかれていった。もっと広い範囲の法律を勉強したい。いっそ司法試験を受けて弁護士になろう、そう思った。
このときもうほとんど40歳だった。子どももいるし生活がある。今からそんなことを始めて大丈夫か。合格できなかったらどうするのか。そういう現実的な心配が頭の中を・・・、まったく駆け巡らなかった。頭の中には安易に描いた未来しかなかった。個人の特許事務所を経営していたが、仕事をもらっていた顧客企業に電話をして、「司法試験を受けるから仕事を減らしてほしい」と向こう見ずな宣言をした。
弁理士試験も司法試験も、国家試験という点に変わりはない。材料は違っても料理法は同じはずだ。料理法は何となくわかっているから、あとは材料を仕入れるだけだ。そんなふうに作戦を立てた。私は実家が寺で、30歳を過ぎて僧侶になり、それからは寺の仕事も手伝っていた。そんな二足のわらじだったから、銀行の待ち時間など、少しの暇もすべて試験勉強にあてた。
その甲斐あってか、初めての司法試験で短答試験に合格した。しかし、当然とはいえ本丸の論文試験には遠く及ばなかった。未来が一瞬にして崩れ去った。やはり現実の心配をするべきだったのではないか。思い立ったことにすべてのエネルギーを注ぎ込むのは間違いだったのではないか。全速力で突進して天井にぶつかれば、その反作用も大きい。出口の見えない迷路から抜けられず、どこに向かっても進めなくなった。
そんなとき、何かの冊子に仏典からの引用だとして書かれていた言葉が目にとまった。過去を悔いず、未来にあこがれず、現在を踏みしめて進め、そんな内容だったと思う。過去や未来は頭の中で作り上げた架空のもの。間違いなく存在するのは現在だけ。もし、現在をまるごと受け入れることができるなら、何をおそれることがあるのだろう。過去や未来に振り回されず、その日その日を踏みしめる。うまくいくとか行かないとかは、そのときに見える景色の一つにすぎないのではないか。そんなふうに思ってみると、ようやく出口が見えたような気がした。
いろんなことに適齢期があると言われ、会社には定年もある。しかし、何歳だからどうすべきだとか、そんなことを他人から言われる筋合いが、いったいどこにあるだろう。世間が何と言おうとも、現在をあるがまま受け入れて、ひたすらに毎日を生ききる。もしそれが本当にできたとしたら、なんとも素晴らしい人生なのではないだろうか。