【第1部】働き方改革関連法の総点検~7年間の成果と残された課題~
はじめに
近年、日本の中小企業を取り巻く経営環境は変化の渦中にあります 。
少子高齢化に伴う人口減少により、企業の「人手不足感」は製造業・非製造業を問わず深刻化しています。さらに、足元での物価上昇や度重なる法改正、最低賃金の引き上げなど、企業が維持すべき「労務コスト」は増大の一途を辿っています 。
このような時代で、企業が生き残り持続的な成長を遂げるためには何が必要でしょうか。
現役銀行員、そして社会保険労務士という2つの視点から考えると、企業の成長には「働く従業員が最大のパフォーマンスを発揮できる労務環境の整備(労務)」と、「その整備を支えるための財務基盤の安定や改善(財務)」がセットで必要です 。
今回は、独立行政法人労働政策研究・研修機構(JILPT)が2026年3月に発表した「政策論点レポート(2024年度調査研究成果ベース)」をはじめとする政府や公的機関の公式な統計データをもとに、中小企業が直面している現状と構造的課題について、3部にわたり考察します 。
第1部となる今回は、最新の経済指標から読み解く「雇用労働市場の現状」について、法改正や政府方針の背景を含めて整理します 。
マクロ経済の現状と企業収益の「二極化」
政府が掲げる「新しい資本主義」のもと、賃上げと投資が牽引する成長型経済への移行が進められています。内閣府のGDP速報によると、実質GDP成長率は2024年に僅かにマイナスとなったものの、2025年には1.1%のプラス成長へと回復しました 。
また、財務省の「法人企業統計調査」によれば、2024年度の企業の営業利益は84.8兆円、経常利益は114.7兆円に達し、4年連続の増加を記録しています 。日本銀行の「全国企業短期経済観測調査(短観)」における全産業の業況判断D.I.も、2025年12月には17%ポイントと、コロナ禍前の2018年3月のピーク水準並みにまで回復していることが示されています 。
しかし、すべての企業が均等に享受できているわけではありません 。
原材料費やエネルギー価格の高騰、および人件費の上昇分を適切に価格転嫁できている大企業や一部の成長産業が利益を押し上げている一方で、価格転嫁が進まない多くの中小企業では収益が圧迫されるという「二極化」が鮮明になっています 。
物価上昇と「実質賃金」減少がもたらす経営への危機感
最も注視すべきなのが「物価と賃金」の関係です 。
総務省統計局の「消費者物価指数」をみると、総合指数は2022年以降4年連続で2%を大きく上回る上昇を続け、2025年には前年比3.2%の上昇を記録しました 。
これに対して、厚生労働省の「毎月勤労統計調査(2025年速報値)」によると、名目賃金である現金給与総額は前年比2.3%増(一般労働者は2.9%増)と増加傾向にあります 。しかし、物価上昇のスピードが名目賃金の伸びを上回っているため、労働者が実際に受け取る購買力を示す「実質賃金」は、2025年において前年比1.3%減となり、4年連続の減少(持家の帰属家賃を除く総合で実質化した場合)を記録しています 。
2025年の物価と賃金の動向を公式データからまとめると、以下のようになります 。
| 指標名 | 変動率(前年比) | 出典 |
|---|---|---|
| 消費者物価指数(総合) | +3.2%(上昇率拡大) | 総務省統計局「消費者物価指数」 |
| 消費者物価指数(生鮮食品を除く総合) | +3.1% | 総務省統計局「消費者物価指数」 |
| 現金給与総額(名目賃金・就業形態計) | +2.3% (一般労働者は+2.9%) | 厚生労働省「毎月勤労統計調査」 |
| 実質賃金(持家の帰属家賃を除く総合で実質化) | -1.3% (4年連続の減少) | 厚生労働省「毎月勤労統計調査」 |
従業員側から見れば「給与は名目で上がっているのに生活が苦しくなっている」という不満が生じやすい状況であるということです 。
企業側が相応の賃上げを行わなければ、従業員のエンゲージメントは低下し、より条件の良い他社へ人材が流出してしまうリスクが極めて高まっています 。
労働市場の需給逼迫と政府の「骨太方針」
雇用情勢を見ると、完全失業率は2025年12月時点で2.6%と低水準で推移し、有効求人倍率も1.19倍と高水準を維持しています。
日銀短観の「雇用人員判断D.I.」が示す通り、企業の人手不足感は非常に強く、特に非製造業やサービス業、医療・福祉などの分野で深刻です 。
閣議決定した「経済財政運営と改革の基本方針2024(骨太方針2024)」において、2030年代半ばまでに全国加重平均1,500円を目指すとした最低賃金目標の「前倒し達成」を打ち出しました 。これを実現するため、中小企業の労働生産性向上を目的とした「自動化・省力化投資」への支援や、サプライチェーン全体での「適切な価格転嫁(構造的な価格転嫁)」の定着を強力に推進しています 。
「賃上げができない企業は淘汰されかねない」というメッセージが発せられています 。
まとめ
第1部では、各種統計データをもとに、現在の日本経済が「物価高を伴う構造的な人手不足」の局面にあることを確認しました 。
実質賃金の4年連続減少というデータは、経営者にとって従業員の離職を防ぐための防衛的賃上げが急務であることを物語っています 。さらに政府の骨太方針は、企業に対し「生産性を高めて最低賃金上昇に対応せよ」と迫っています 。
しかし、手元のキャッシュフローを無視した無計画な賃上げは、企業の財務基盤を根底から揺るがしかねません 。
第2部では、このマクロ経済・労働市場のトレンドが、リソースの限られた「中小企業の財務面・労務面」にどのような悪影響や課題をもたらすのかを整理します。



