デイビッド・セイン著「日本人のちょっとヘンな英語」について考える~その2
雑誌を整理していて見つけたエッセイから今日は「国際人」について考えてみたいと思います。「歴史通」2013年7月号に掲載されている筑波大学人文社会科学研究科教授 古田博司氏の「助けず、教えず、関わらず」というエッセイを興味深く読みました。東洋政治思想史・韓国社会論の専門家である古田氏は韓国滞在が長く、韓国語も堪能です。ところが、このエッセイの中にある「『外国語が出来る国際人』幻想」という一節で、氏は自らの体験から、国際人であることはむしろ不幸であると書いています。そして、昨今の「英語教育狂い」について、教育現場から古田氏は状況を分析しています。以下に抜粋します。
「私は自分の大学でも「国際化するふりをして国内化しよう」と気心の知れた教授たちに呼びかけるのだが、省の方からは「グローバル人材育成事業」などというものをしきりに振ってくる。辞令一本で喜んで海外任務につき、英語が出来て、外国人との交渉でもひるまないような、そういう虫のいい若者を育てろというのである。(中略)また大学がそれに乗る。東大の学長は入学式で「世界的視野を持った市民エリートになることを目指せ」と発破をかける。外国語ができて国際人になると、日本人としての情緒を失うので私のように日本人からあまり好かれなくなる。そこがわかっていないらしい。」
グローバル人材、国際人、本物の英語教育、世界を視野に、などはここ数年の経済界・教育界の謳い文句となっています。これからの日本人は当然そうあらねばならない、という前提ですが、古田氏はそれを批判的な目で見て憂慮しています。その理由が次に続きます。
「文科省は「グローバル人材」育成に取り組む高校を各都道府県で指定し、重点的に支援する方針を決めたそうである。(中略)高校には不良外人と、各省庁出身で外国経験のあるおもに理系の老人があまくだる。生徒は教師の勝手気ままに振りまわされ、文系理系もたいしてできず、日本の大学受験の為に予備校に通うことであろう。(中略)国際的市民エリートの教育ビジョンは、日本の官僚制を補完する事にしかならない。いっそのこと国際人などという幻想は捨て、日本人として時代を生き抜く哲学を開発したほうが遥かによいと思われるのだ。」
国の未来を担う若者の教育は、その国の発展の屋台骨となる重要な要因です。自民党政権は、使える英語を身につけるために小学校から早期英語教育をし、大学入試にTOEFLを導入して受験英語からの脱却を図りたいようです。しかし、誰がそうした真に役立つ英語教育を行うのか、という問題についてはまだ現状調査もままならないようです。古田氏の指摘は「優秀なアメリカ人」(英語母語者の意と思いますが)がそんなにたくさん日本という国に暮らしたいと思うわけがない、というものです。
グレン社長は以前に日本最大手の英会話スクールで、採用・研修・管理まで京都を除く西日本一帯(四国から山口まで)を人事部長として統括していました。ですから、日本で英語を教えようとやってくる外国人については熟知しています。もちろん中には人格も頭脳も優秀な人もいますが、残念ながら古田氏の言葉通り、「不良外人」がかなりの数を占めていたことも事実です。そして、今もそれはあまり変わっていません。
単なる「英語教育狂い」ではない、真の国際人育成はどうやって達成できるのか。そもそも、「国際人」になると古田氏の言うように、必ずしも幸せではないのだろうか。これは、私がここ数年、考え続けていることでもあります。従来の受験英語教育ではダメだとは思っています。しかし、昨今のTOEICやTOEFL重視の「使える英語」を目指すという勉強法には非常な違和感を覚えています。日々英語のレッスンを様々な形で行いながら、グレン社長と二人で答えを探っていきたいと思っています。
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