不登校のままではなにも始まらない
「対人へのこだわり、将来への不安を抱えた青年」
人の中に入ると緊張から汗などが出て動きが止まってしまうことで公共機関がなかなか使えず、集団を避けてきた青年がいます。
いろいろな事情・経緯を本人や関係者と共有する中で将来への方向性を状態像に合わせながら定めることで、守られた小集団の中では、不都合だった身体に関わる症状は軽減しつつ、動きも活動的になります。
文武に長けていた青年ですが、自分を護るためなんでしょうね、何をしても斜に構えたところがあったのですが、ある日、年下とのバスケットボールの勝負で負け、「悔しいと素直に思った」といいます。
小学生の時に感じた感覚だ、とも。
その時以来自分をごまかしていたようです。
「それじゃ、部活のように毎日練習すれば」と振りますと、「毎日だといつでもできるから手を抜いてしまうし、押しつけだからな。変則的だけど、こっちの方が真剣になれる」と。
でも、その時の言い方とか雰囲気は、無邪気だったころのように真剣になりたいのがひしひしと感じとられます。
自分をごまかすのでなく、自分の中から出てくる様々な感情を素直に感じて、今回は、本当に悔しいという感情を言葉にして、何を自分はごまかしてきたのか探しているようです。
ひとつは、日常を舐めていることがわかりだしてきたようです。