いのちに値段をつけますか?
「かけがえのないものとしての自分で生きていますか」
大半の人はこの世に生まれて「かけがえのないものとしての自分」ということを母親を中心に家族が遇してくれる体験をしていき、世界へ足を踏み入れていきます。ひとりしかこの世にいないから、そのような存在として理屈抜きに親から注目を一身に浴び世話をされた体験を身体で受け止め、それが基本的な安心感として自分の大きな柱になっていきます。
しかし、母親は自分のものだけでなく、父親にとって妻であり、きょうだいにとっても母親であり、舅姑にとって嫁であり、自分もそういった家族関係の中に置かれたひとりにすぎないという現実に身をさらしていくことになります。それまでの自己中心的で万能感に満ちた心の生活を否定されていくことになり、その体験で「大勢の中の自分」を発見していき、社会的な現実感覚や道徳感覚、生活感覚を身につけていくことになりますが、「父」なるものがその「現実」を体現してきた時代がもはや崩れ、モデルになる存在が希薄になっていることにどれだけの人が気づいているでしょうか。
「大勢の中の自分」として埋没してしまい人に怯えるか、「大勢の中のひとりの自分」として基本の柱を大きく太くしていくか。