オンライン講演「思春期・反抗期の子どもとのつき合い方〜自己肯定感を育てる7つの関わり〜」:枚方市教育委員会主催
親であれば誰しも子どもを「いい子」に、「賢い子」に、「強い子」にと育てようと思うものです。
この思い自体は何もおかしくありませんし自然なことですが、「ではどうすれば?」ということになってくるとちょっと考えなくてはなりません。
「いい子」に育てるために厳しく接するようにすると、子どもが健全に成長していくために必要な「甘えを受け容れてもらうこと」が不足し、かえって育ちを歪めてしまうことになってしまいます。
また、「賢い子」にしようと早くから、机に座って勉強することを強要すると、学習はつらいもの嫌なものという先入観念を植え付けてしまうことにもなりかねません。
では、どうすれば?
少し例を引いて説明してみます。
たとえばここに悟りを開きたいと熱望する若きひとりの僧がいたとします。
彼は悟りを開くために、あらゆる修行、苦行を重ねます。
でも、いくら修行を重ねても悟りを開きたいという思いに執着していては悟りを開くことはできません。
悟りとは、実は「執着を離れた心の状態」に至ることなので、その「思い」を手放していくことこそが必要なのです。
ここで一つの矛盾に突き当たります。
悟りを開くために努力している。
その努力は「悟りを開きたい」という執着からきている。
その執着を手放す必要がある。
それは悟りを開く努力を放棄することを意味する。
悟りを開くためには、悟りを開く努力を放棄しなければなりません。
実際、お釈迦様(ゴータマ・シッダルータ)は6年もの苦行の末、悟りを得ることは出来ず、苦行をお捨てになります。飢えと乾きに耐えきれず、スジャータの差し出す乳粥を飲まれたのです。彼はその後、菩提樹の下に座り瞑想に入ります。様々な煩悩が浮かんでは消えてゆきます。彼は煩悩を抑えようとはせず、その自らのあるがままの煩悩を見つめます。すべての煩悩が彼の脳裏を通り過ぎていったとき、「空(くう)」と一体となり悟りを開かれたと言われています。
悟りとはどんなものか、宇宙と一体である自覚とか、絶対安心の境地とか様々に言われますが、平たく言えば「本当のことが見えるようになった」ということのようです。そして、その本当のことというのは「すべては美しい」ということのようです。それを言葉ではなく、心で実感するのでしょうね。
子育てもこの「悟りを得ること」ととても似ていて、いい子にしようと親が一生懸命努力している間はかえってうまくいかなくて、そういう「我の思い」や「執着」を手放して、「元気やったらそれでいい」と子どものありのままを愛していくようにするとかえって「いい子」に、「強い子」に、「賢い子」に育っていきます。
そのとき、悟りではありませんが、はじめからこの子は素晴らしい子であったと本当のことが見えるようになるのではないでしょうか。
さしずめ、子どもの悪い所ばかりが目についている間は、仏教で言う「迷い」の状態であり、目を覚まさなければいけないのは、子どもの善さ、素晴らしさが見えていない私たち親の方かもしれません。
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