痛みへ寄りそえるために必要な現象の理解
就労がゴールでしょうか?
ひきこもりやニートの問題は、とかく社会に参加した時点で終了したかに
思われがちですが、実は、それからが始まりです。
社会から離れていた期間が長ければ長いほど、社会に適応していくために
多くの時間とエネルギーが必要となってきます。
いざ社会生活が始まると想定外のことが毎日のように起こります。
一般的に、支援する側は、当事者本人の過去の傷つきを癒すことに
重点がかかります。
時間で解決したり、「信じているから頑張りなさい」といった精神論的な応援で、
その痛みを癒そうとします。それももちろん必要です。
しかし、それよりも、再びストレス要因となる出来事に遭遇した際、
同じ傷として抱え込まないですむための技術を身につけることがより大切なのです。
ストレス耐性強化のための技術
「技術」といっても、要はより良い習慣づくりです。
良い日課、より良い生き方の姿勢・態度をもつということです。
一つ紹介しますと、「自己判断・自己決定・自己責任」の習慣をもつことです。
多くのひきこもり、不登校の青少年たちは、これまでに主体的に物事を判断する
ということをやってきてないことが少なくないようです。
中には、それを親から許されなかったという場合もあります。
そのために、周囲に対して過度に依存的になり、他罰的な姿勢に
なっています。
周囲が決定したことに従って生きていくという姿勢がみについており、中には、
判断を要求される場面で、反射的に思考を止めてしまうタイプの青年もいます。
自罰的な青年もいますが、それも、自虐的に自分を悪いと責め、落ち込ませて
いるだけで、責任をもって自分のやるべきことを実行していこうという主体的な態度は、
そこにはありません。
「自由」と「責任」は互いがそろってこそ、主体性をおびてきます。
責任を負うことを避け、自由な生き方だけを得ようとすれば、逆に、ありのままの
自分を拘束された不自由極まりない生き方しか出来なくなってしまいます。
自らの後始末ができる人になるための習慣づくりが、ストレス耐性を強化するための
ひとつの技術でもあるのです。
やりたいことを応援するのが最良の方法か?
長いひきこもり生活からようやく脱し訓練を経て、いよいよ就活の段階になって
きますと、「これといってやりたい仕事がないので職種の選択に迷います」
ともらす青年たちがけっこういます。
「自分の適性にあった職種に就かないと長続きしないから」と確かにもっともらしい
理由ではありますが、そもそも自分の適性が見えているのか、やりたい仕事に限らず、
自分の欲求すら自覚できていないことが少なくないのです。
「やりたいこと」は、じっと家にいても見つかりません。
先ず三つの視点をもって考えてみましょう。
○やりたいこと
○できること
○やらなければならないこと
です。
やりたいことを出来るようになるためにも、やらなければならないことがあります。
夢や希望の実現のためです。
できないことを出来るようにようになるために、やらなければならないこともあります。
スキルアップのための取り組みです。
そして、やりたいことがまだ無い場合は、見つけるためにやらなければならないこと
があります。
つまり、いずれの状態でも、先ずやらなければならないことが当然そこにある
ということです。
ところが、この“やらなければならないこと”という視点が、すっぽり抜け落ちている
ことが多く見受けられます。
責任を伴わぬ自由の末路
あらゆる制約、不自由さから逃れようとしている青年たちが、行動をおこす
はずもありません。
「自由な時代」彼らは、制約から逃れ、自由な自己実現、個性化を許され、
ひたすら自由を叫ぶ。
しかし、逆に条件を設定されなければ自分一人で目的を見出すことも、
方法を模索することも出来ないことを認めたがらず、「やりたいことがないから」
ともっともらしい言い訳を繰り返し、自分をごまかす。
単なる時代背景とは、言いたくない。
大人たちが作った社会だと一般化してしまえば、全ての大人が一斉に
その責任を回避する。
「この子を育てた親の私が」と、それぞれが私の、個の問題と受け止めれば、
動かざるを得ないだろう。
「皆でやろう」なんて言うから、誰もがしない。
「私がする」と皆が言えば、社会は変えられると思います。
好き嫌いの快楽原則だけで動いているうちは子どもです。
必要性から動ける現実原則が身にそなわってこそ、大人に成るということです。
現代は社会全体が幼児化しているのかも知れません。