人生が形作られる大前提
現状に囚われすぎるあまりに
不登校・ひきこもりの支援活動を続けてきた中で、感じることがあります。
それは、多くの親御さんたちが、
目の前の現象(学校に行っていない、働かない等)に囚われすぎて、
ただただそのことだけに困ってしまっているということです。
中には、現在年齢が30代であっても、
最初の不登校があったのが中学生で、その時の原因が分からないまま、
今はひきこもりに悩む。
これまで幾多の変遷はあったものの、
以降高校や大学にまで進んだケースもありました。
しかし、卒後今度はひきこもってしまっているのです。
こういった事例は、けっこう多いのですが、
いずれも当初の不登校からなんら問題は解決されないまま
現在に至っているということです。
それは、何がそうさせたかをその時点で徹底追及し、
以降に持ち越さないようにしていないからです。
早い解決のためにも時間をかけ理解すること
こうした対処の仕方になってしまった原因は、
目の前の「困ったな」の改善に終始してしまったためです。
ひとつには、不登校をした、ひきこもった訳、理由を
本人たちがはっきり口に出してくれるわけではありませんし、
聞いたからとて話してくれるとは限りません。
ですから、親御さんも分からないままになってしまって、
「分からないものはしょうがない」となっているのです。
私がいつも親御さんにお話しするのは、
「先ず何かの訳あっての今ですから、
理解することから始めてみましょう」ということです。
理解することでわが子の痛みに寄り添うことができます。
しかし、ここで、
「理解するって、本人が話してくれないのにどうやって?」
という声がよく出ます。
理解のために必要なことは、「学習」です。
あらゆる事象は、知識があってこそ認識できます。
私たちがなにごとかで悩むのは、その事柄をよく知らないからです。
未体験のことでも、既存の知識を組み合わせれば、想像することもできます。
ですから、目の前のわが子の状況を理解するためには、
学習(知識の習得)が必要なのです。
しかし、実際は、即効性(?)のある手法を期待して来られる
印象が強くあります。
「こうしたら、こうなる」といったものをです。
不登校やひきこもりといった現象や、わが子の心の内を理解しよう
という姿勢があまり感じられないのです。
親ではできないことが
「こうする」よりも「親としてこうある」の方がとても重要なのです。
パソコンやビデオといった機械を操作するのであれば、
このボタンを押せば仕組みなど分からなくても、望む状態を得られる
となりますが、さすがに心をもった人間(わが子)を相手にするのですから、
仕組みを理解しないまま、結果(解決)だけを求めるのは無理があります。
ひきこもりの本質的解決のためには、
親にしかできないこと、親にはできないことがあります。
親では出来ないことのひとつは、本人へトラウマからの影響を自覚させ、
その理解を得させることです。
本人自身がその影響を理解、克服するためには、
外からの視点、知識といったものが必要になってきます。
人は自身が抱えている痛みの理由を全て認識できているわけではないのです。
特にトラウマといったものは抑圧しているものが多く、意識下へ沈殿しています。
だから、たとえ本人に訳を聞いたからといって、
本人もすべてを自覚し話せるわけではないのです。
AC(アダルトチルドレン)やトラウマ関係の本を読み漁り、
その影響の大きさに愕然となり、
将来に絶望的になっている青年からの相談がありますが、
自身のトラウマの意味を知ることができれば、トラウマは克服出来ます。
つまり何故トラウマとなってしまったか。
当然ながら原因があります。
同じ状況下でもそこからの影響をトラウマとしてしまわない人間も居る
ということを知るべきです。
つまりは、本人にとってはトラウマとして刻印してしまう必然性が
そこにはあったということです。
そのカラクリさえ本人が認識出来れば、克服できる力を持っています。
ただ、そこまでに導くには専門知識と経験をもった親以外の存在が必要なのです。
親が、できること、やらなければならないことを放棄し、
一方で出来ないこともあるということを認識しなければ、
ひきこもりは確実に長期化していきます。