「大和心」を失った果ての引きこもり現象
家族会では、解決のための有益な情報を共有したり、同じ境遇の身同士で気持ちを分かち
合ったり、励ましあったりします。あくまで、前へ進んでいく(改善)ためのものです。
ところが、新しく参加してきた家族に「もう、あきらめましょう」とか、「老後の自分
たちの介護をさせましょう」などと言っているところもあるのです。
私はあるひきこもり者から、「家族(親や祖父母)から、めんどうはみてあげるから介護を
してと頼まれたことがある」と聞かされたこともあります。
また、支援団体に対しての主観的な印象(優しいとか優しくないとか、費用が高いとか、
こうしてくれない等)を会報に掲載しているケースもあります。
主観的なものは、人によって異なるものです。
例えば、相談には費用がかかるのはあたりまえと認識している方と、福祉にお金がかかる
のはおかしいと認識している方とでは、高いか妥当かのレベルも違います。
「こうしてくれないから優しくない」もその方のあくまで自己都合です。
主観的なものは事実とは違う場合もあり、それを公平を期することが求められる会報に
掲載することは、参加者に誤まった認識を与えかねません。
わが子の行く末に関わる大切な問題なのですから、基本、自分で足を運び、支援者の人と
なりを自分の目と耳で確認すべきことです。
会の目的を見失っていませんか?
当協会では、連携している民間事業所があり、訓練の後、学歴や年齢、ひきこもり期間を
問わず採用していますが、そういった情報をあえて参加者に伝えない会もあるくらいです。
ここの場合、世話役の方の口から出てきたその理由が「会員を取られたくない」でした。
当協会では、「たらちねの会」という家族会を運営しています。
この会は、会費もありませんし、毎回90分の具体的な解決のための講習も行なっています。
もちろんすべて無料です。
会費も徴収しませんので、元より誰でも(支援者でも)自由に参加できるものなのですが、
「会員を取られる」という発想には正直唖然とさせられました。
家族会の本来の目的を完全に見失っておられるようです。
家族(親)が休める場所が何より必要なのです
家族会は、組織にしないことが原則です。
特に、現状改善を目的とした会であればなおさらです。
組織化する必要性がないのです。
行政や研究者からは、組織化された家族会は重宝されます。
なぜなら、定量的な分析を試みる際に、アンケートなどで調査しやすいからです。
自分たちで当事者家庭を探すことは現実困難なことです。
その手間がはぶけます。
会費を徴収している家族会では、「会員を取られる」といった発想が出てきてしまう
のでしょう。
現状改善を目的とした家族会であれば、必要なときに集まる集会形式で問題ありません。
会場も公共の場所を利用すれば、安価に、また無料で使用できます。
家族会は、早期解決のためには無くてはならないものです。
その理由はこれまでにも述べていますが、両親の疲弊を和らげる役割が最も求められる
でしょう。
親にとって、わが子から背を向けられることは、その存在意義を揺さぶられ、自尊心を
著しく傷つけられることです。
そういったことからも、他者へ相談するような世間に晒す行為は耐え難いものであるの
です。
この苦悩を分かり合えるのは、当事者同士です。
また、解決に向けて両親が必ずしも意思統一が図られ、協力しあえる家庭ばかりでは
ありません。
どちらかと言うと、父親があたかも他人事のように何をするでもなく、母親が孤軍奮闘
というところがほとんどではないでしょうか。
他のきょうだいたちも、親の介護や亡き後には確実に自身に関わってくる問題である
にも関わらず、親任せで協力的でない場合もあります。
こういった状況ですと、さすがに母親(動いている親)も孤立感を感じ、志半ばで投げ出し
かねないのです。
懸命に取り組んでいる親であればあるほど、気持ちが萎えてしまうのは無理からぬことです。
それを防ぐために、家族会が必要なのです。
同じ“問題縁”により出会った者同士で、もう一つの家庭、家族を作り、励ましあい、労いあい
慰めあいながら、共に解決へ向けて挑み続けていくことです。
家族会は手段であって、目的ではありません
注意しなければならないことは、「家庭」というよりも、組織化された居場所ができあがる
と、そこが逃げ場になってしまいかねません。
現場(わが家)からのです。
解決のためには、あくまでも現場でわが子と正面から相対さなければなりません。
それを避けるための場所になってしまってはならないのです。
エネルギーを充電し、情報を交換し、一番には、具体的な対応策を学びあう場でなければ
なりません。
述べたように、家庭で、家族(夫や妻、きょうだい)の協力が得られていない人の場合、
「なぜ自分だけが」という不満も積もり、家から離れて互いが共感しあえる痛み分けの場
として、無くてはならない場所となります。
特に世話役の場合、会から必要とされることが、家庭での虚無感を埋め合わせてくれる
のです。
そうして、家族会との共依存関係が構築され、会の存続が至上目的となり、事態の改善
よりも、改善が遠い(在籍期間の長い)より多くの参加会員が必要となってしまうのです。
恐ろしきかな。