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コラム

必要な「家族会」がいつしか誤った方向へⅤ

2022年6月3日

テーマ:解決のための視点

コラムカテゴリ:メンタル・カウンセリング

コラムキーワード: 引きこもり支援引きこもり 対策不登校支援

ここ近年は、ニュースで「8050問題」が取り上げられることが増えています。
ある家族会の代表の方の下記のような発言の記事がありました。

「当事者は家族の中で孤立し、家族は社会の中で孤立してしまう。
当事者には自分を責めないでいいよ、一緒に生きていこうよと伝えたい。
親も自分たちだけで悩まないでほしい。
ひきこもりは子育てや家庭の問題ではなく、社会全体の問題だと知ってほしい」

親御さん方へ向け、当事者と同じように自責の念で自分たちを責めないようにとの精一杯
の配慮で最後の言葉が出ておられるのだろうとは思いますが、
「ひきこもりは子育てや家庭の問題ではなく、社会全体の問題だ」
よもや本気でそう思っておられるのではないことを祈るばかりです。

子育てや家庭の問題ではないと言うのは、何か先天的な障がいか何かですか?
先天的な疾患や障がいは、社会の問題ですか?
「8050問題」で分かるように、ひきこもりが医療ではカバーできない問題であることは
すでに明白です。
援助、救済は確かに社会が考えていかなければならないでしょう。
社会が何らかの救済インフラを整備していくことは、もっともです。
しかし、ひきこもり自体は、社会が招いたことなのでしょうか。
発生自体に社会が責任を負わなければならないのでしょうか?

責任を社会や他にもっていけば、確実に長期化していく

「8050問題」は、高齢で引きこもりだす人が増えたのではなく、若くにひきこもり始め、
解決されないまま長期化した結果、高齢になっただけです。
ですから、「親も子も高齢で大変深刻な状態だから、社会が何とかしてほしい」は、
共感を得られる主張ではありません。
こうなる結果が見えていたのに、適切な手を打たなかった責任は、どこにあるのでしょうか。
「子育てや家庭の問題ではない」と言い切る根拠は何ですか?

長期化は、不可抗力ではありません。
防ぎようのない、どうすることもできないことではないのです。
先ず、親御さんが認識しておかなければならないことは、長期化がより進めば、当の本人
の中では、引きこもるという自分の生き方を親は容認してくれているとなっているという
ことです。
そう取られてもいたし方ありません。
なぜなら、引きこもりを止める適切な取り組みをほとんどしていないからです。
「いい加減働け!」や「出て行け!」は、もちろん適切なはたらきかけではありません。
さらなる事態の悪化です。
背を向け、沈黙(無視)を続けるわが子に「なすすべも無く」と放置してしまっていれば、
あきらめて容認してくれていると取られても文句も言えません。

私がいつも例えるのは、引きこもり現象は、体重が200㎏近くにもなり、ベッドから降りる
こともままならず、働くことなど到底出来なくなってしまっているニュースに出てくる
ような人のようなものです。
「お医者さま、助けてください」「働けないので生活を援助してください」
と言っていますが、体重はいきなり200㎏にはなりません。
そこまでになる間、その増加にもちろん本人も家族も気づけています。
にもかかわらず、さらに食事を必要以上に摂取することを続けているのです。
つまり、事態を放置してしまったということです。

〈8050問題〉は、大変気の毒な最優先で救済しなければという問題ではないのです。
そこまでになる前に、充分、防げる問題なのです。
いよいよどうにもならなくなってからのどうしようを考えるより先に、今も日に日に進行
している目の前の引きこもりにクサビを打つことに取り組むべきです。
そのためには、自力で食事を調達し200㎏になったのではなく、毎日3食たっぷりの食事を
供していたのが自分たちだったということに親御さんが早く気づくことです。

責任の所在を明らかにし、他人事にしてしまわない

私が支援活動を通し、当事者から聞かされ続けてきた中身は、まさに子育てと家庭の話でした。
家族会は当事者の声(訴え)も知らず、誰に責任をもっていきたいのでしょう?
事態の解決を焦る前に、現状のこれ以上の悪化を防ぐことが先決です。
わが子の成長に最も責任を負うのは、もちろん親です。
人格形成や健康にいいも悪いも影響を与えているのが親であることは、誰しもが承知している
ことでしょう。
それを社会に責任をもっていけば、社会になんとかしてもらおうという行動しかとりません。
(それが家族会設立の目的かも知れませんが)

しかし、事が起こっているのはわが家の中です。
わが身に起こっているのです。
自分がひきこもる子をもつ親であるのです。
ですから、そのことに責任をもつのは自分自身です。
自分の人生に起こっていることですから、自分の人生に責任をもつことは、あたりまえの
ことでしょう。

仮に、そのことが生じた(起こった)原因に自身が関与していないことがあったとしても、
その影響を受けていれば、その影響に対して、どう対処していくかは、自己の責任において
判断していかなければなりません。
例えば、わが子が学校でいじめを受け不登校をしているのに、いじめを受けたのは自分じゃ
ないからと、何も対処せずほっておきますか?

自分の人生に責任をもって生きることを身をもってわが子に示す

責任を回避したがるのは、「責任がある」と言うのを「自分が悪い」と捉えるからです。
誰しも悪者にはなりたくありません。
だから回避、転嫁するのです。
しかし、責任の有る無しと、いい悪いは別です。
責任があるというのは、そのことにおいて、主体者、主導者として、後始末、後片づけを
最後まで行なう義務があるということです。
「誰が悪い」といった犯人探しをするのではなく、〈どこ〉の責任を自分が負うべきかを
考えなければなりません。
災害で家が倒壊したことに責任はありません。
しかし、復興していくことには責任もってとりかかっていく必要があります。

わが子は、自分たちがこの世に、この社会に生んだ(存在させた)子です。
存在を誰からも気づかれないままにしておけますか?
自分の人生に責任をもつ姿勢、生き方が、わが子に困難を乗り越える勇気を
与えることができるのです。

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NPO法人 地球家族エコロジー協会
つながりあうコミュニティー
OKAGESAMA fellowship
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この記事を書いたプロ

中光雅紀

ひきこもる人、その家族を再生へと導くプロ

中光雅紀(NPO法人地球家族エコロジー協会)

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