青木繁:情熱に満ちた天才画家の波乱な人生

鎌田千穂

鎌田千穂

テーマ:心のあり方のヒント

産業カウンセラーの鎌田千穂です。
チホズスタジオは福岡市に拠点を置き、オンラインや訪問をあわせた産業カウンセリングを実施。
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  • チホズ文字分析による人材分析及び提案。

海の幸
今日は久留米市出身の青木繁氏(1882年~1911年)のお話です。
28歳という短い生涯の中で、日本美術界に革命をもたらした天才画家。

青木繁氏の情熱と苦悩。
そして波乱に満ちた人生を振り返り、心のあり方や生き方を感じてください。

幼少期:試練と才能

1882年、福岡県久留米市で下級武士の息子として生まれた青木繁氏。
家族の生活は厳しく、青木繁氏の父は「代言」という弁護士のような職に就いていましたが、経済状況は常に困難だったようです。

それでも幼少期から厳しい教育を受け、負けじ魂を持ち続けた青木繁氏は、広い知見と独創力を育みました。

運命の出会い:坂本繁二郎氏との友情

9歳の時、同じ久留米市出身の画家、坂本繁二郎氏と出会っています。
坂本繁二郎氏といえば、日本美術史において極めて重要な影響を後世に与え続ける画家の一人。

日本の名のしれた画家となる2人は、同じ高等小学校に入学しています。
これまで成績優秀だった青木繁氏は、坂本繁二郎氏の絵に衝撃を受け、敗北感を味わったようです。

その後2人は共に学び、描き、競い合いながら成長。
2人が出会うことがなければ、青木繁氏が絵を描くことはなかったかもしれません。

青年期:反抗と情熱

青木繁氏は久留米中学明善校に進学。
母子家庭で貧しかった坂本繁二郎氏は、現在でいう高校に進むことができませんでした。
そのことで、2人は別々の道を歩むことになります。

在学中に文学にも目覚めた青木繁氏は、友人と同人誌『画藻』を発行し、詩や挿絵に没頭。
そのことで、学校の成績は次第に悪化してしまいました。

画家になるために周囲を説得

将来は画家になると決めていたとはいえ、絵を学んでいることを父親には告げていません。
ですが、画家を目指すことを伝えなければならない時が来ます。
将来のことを伝えた際、父親は理解を示すことなく反対。
そのことで画家を目指したい青木繁氏にとって、父親は大きな障壁となっていきます。

それでも諦めること無く、母親を説得。
伯父に助けを求めることで、父親との不和を解消。
最終的に東京行きを許可してもらえることになったようです。

初めての成功:白馬賞受賞

1903年、青木繁氏は「白馬会」の展覧会で第一回白馬賞を受賞。
この受賞は、青木繁氏の才能を世に知らしめる大きな機会となりました。

青木繁氏の描く抽象的なテーマは、多くの人々に衝撃を与え、その芸術は革命的なものでした。

『海の幸』の誕生:名声と苦悩

東京美術学校卒業後、千葉県館山市布良海岸での制作旅行で生まれた『海の幸』。
この作品は青木繁氏の名声を一気に高め、多くの反響を呼びました。

ですが、名誉とは裏腹に、実態は貧しい生活や家族の問題。
健康の悪化など、様々な試練に直面しています。

最期の日々:情熱の幕引き

肺結核に蝕まれた青木繁氏は、28歳の若さでその人生の幕を閉じました。
その激しいまでの情熱は、命の光とともに燃え尽き、短い生涯を駆け抜けています。

青木繁の人間性と芸術への情熱から学ぶこと

青木繁氏は、日本の芸術界で傑出した天才として知られています。
ですが、実生活については省みることはなかったことも知られています。

学生時代には家賃を友人に頼り、収入のあてもないまま実家から姉と弟を引き取るなど、現実とのバランスを保つことができませんでした。

代表作『海の幸』は現在では国の重要文化財として高く評価されています。
ですが、当時は売れず、実生活でその才能が報われることはほとんどありませんでした。

天才と狂気は紙一重

さらに、福田たねの妊娠、父の危篤、実家の負債など、次々と予期せぬ出来事が重なり、精神的な疲労がピークに達する頃、絵具などの画材すら手に入れることが困難な状況に陥っています。

奔放な正確は芸術を支える基盤ではあったものの、実生活では支援者がいないと成り立たない。
天才と狂気が紙一重であることを如実に示しています。

まとめ:青木繁氏の生き方から学ぶこと

青木繁氏の生涯を知ると、天才と言われる人々も決して順風満帆な人生を歩むわけではないことがわかります。

どんなに才能あふれる芸術家でも、現実との折り合いや多くの困難に直面することがある。
秀でる芸術的才能の一つが自由奔放な性格。
その性格こそが青木繁氏の創造性を支えました。
ですが、同時に実生活では多くの苦労を引き起こしています。

天才だって苦労している

つまり、天才と呼ばれる人々も私たちと同じように人間。
成功の裏には多くの試練や努力が存在します。

眼の前にある成功や作品だけでなく、その背後にある苦労や努力にも目を向けること。
才能というフィルターを通すこと無く、より深い共感や理解をするための心の働きも求められています。

青木繁氏の人生から学べることは、才能を支える努力や逆境に立ち向かう強さ。
成功の道のりは決して平坦ではないことを彼の生涯から感じ取ることができるのではないでしょうか。

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