正解は無限にある:グレーゾーンで見つかる真の居場所

辛子明太子といえば、日本の食卓に欠かせない存在。
その明太子の元祖として知られる「ふくや」の創業者、川原俊夫さん。
川原俊夫さんの人生は、福岡で長く生き生きと語り継がれています。
今回は、そんな生き方から何を学べるのか。
戦後の混乱期に始まり、飽くなき探求心と社会貢献への熱い思いが織りなす時代。
川原俊夫さんの生涯と彼が築いた明太子文化、その背後にある哲学や信念に迫ります。
戦後の焼け野原から誕生した「ふくや」
1945年、宮古島で終戦を迎えた川原俊夫さん。
朝鮮半島から家族と共に引き揚げ、日本の新しい未来を創るべく1948年に博多で食料品卸の会社を立ち上げています。
ここから、ふくやの歴史が幕を開けました。
願いは日本の復興と再生。
社会の役に立つ生き方を生涯をかけて貫き通した御仁です。
金魚鉢から始まった辛子明太子
1949年1月、俊夫さんは自作の辛子明太子を金魚鉢に入れて店に置いたそうです。
ですが、購入者からは辛すぎるというクレーム。
始まりはそうそう上手くいかず、売れ行きは芳しくなかったようです。
それでも俊夫さんは持ち前の探求心で改良を続けることで、やがて明太子は口コミで評判を呼び、店の前には行列ができるようになっています。
福岡の名物と言われるまでになった辛子明太子の誕生秘話
飽くなき探求心と革命的なアイデア
釜山市場で出会ったキムチ味のたらこの思い出を元に、日本人の味覚に合う明太子を開発するため10年もの歳月をかけて研究を重ねました。
特許を取らない決断が生んだ奇跡
周囲からは特許取得を勧められたものの、俊夫さんは「明太子はただの惣菜たい」と考え、他社にも作り方を教えています。
この行動こそが、全国の明太子業界を1400億円の巨大市場へと成長させました。
そのなかで印象に残ったのは「元祖や本家と名乗ることなどどうでもいい」という考え方。
そのおかげで、他社にも明太子の作り方を教え、福岡の明太子メーカーが次々に増えたこと。
社会貢献と納税の精神:生き方の哲学
「こうして生きながらえている以上、何かの形で世の中のためになる生き方をせにゃあならん」という考えのもと、地域貢献に尽力。
そして納税に対しても重視しされていることなど、福岡にいると創業者の想いを伺う機会が耳に入ることが多くてですね。
守りから攻めへと転じる現社長の革新
「味は守るな」という創業者川原俊夫さんの教えは、日々変化する環境に対応することの重要性を説いています。
ふくやの明太子は創業時から味が変わり続け、常に進化しているそうです。
現社長も同じく常に革新と挑戦を続けられていて新商品が続々と。
先代の教えを受け継ぎながら、新たな挑戦をする姿は「変わらないために、変わり続ける」を体現化しているお手本です。
ふくやの歩みから創業者の願いに学ぶこと
川原俊夫さんの人生は、飽くなき探求心、大らかさ、そして社会貢献への情熱に彩られています。
戦争の悲惨さを経験し、それを乗り越えて社会に貢献する姿勢は、人間としての深い魅力を感じさせます。
創業時代から受け継がれている理念や教えは今もふくやの経営に息づいており、多くの人々に感動を与え続けています。
CSR(企業の社会的責任)やサステナブル(持続可能性)
今ではどこでも言われているCSR(企業の社会的責任)やサステナブル(持続可能性)。
戦後すぐから実践を始めた取り組みは、当時では理解しがたいものだったかもしれません。
現在でも、地域や社会に役立つことを第一に掲げ、地元企業の再生支援やイベントのスポンサーなど、年間200件以上の地域貢献活動を展開。
その姿は、社会の一員として、企業の事業使命や世の中に影響する責任を果たし続けている企業の一つとなっています。
リーダーシップは誰もができるもの。
リーダーシップは偉くならないと発揮できないものではありません。
川原俊夫さんのように、自分の信念を持ち、周囲の人々に影響を与えることこそが真のリーダーシップです。
それは、どんな立場にいても実践できるもの。
ですが悲しいことに、現代のリーダーシップには、自分が正しいと主張するあまり、人を陥れることはお構いなし。
そんな自分の発信責任はおざなりで、更に人を操作して優位に立つような私欲まみれ。
人の品格が損なわれたモノがとても増えたように思います。
社会やコミュニティをより良いものに育てていくリーダーシップ。
あなたの行動が社会から求められているのではないでしょうか。



