第16回 BRICSの後塵を拝している我が国の知財マネジメントの問題点
特許庁は2018年にデザイン経営宣言をした。参入障壁の構築を目的とした従来型の知財(トラディショナル知財)に対し、参入障壁の構築を不要とする知財に拡張せんとするものである。ノウハウにはトラディショナル知財に属するものと、デザイン経営に属するものがある。
前回(第86回)のコラムの§2で、サピア=ウォーフの仮説を紹介し、言語は文化、生活習慣、世界観により差異的に関与するので、誰がノウハウを文書化し、誰がそのノウハウ文書を読むかで、技術内容は変わってしまう畏れがあることを述べた。
今回(第87回)のコラムの§1では、ノウハウ文書を作成するには知恵と工夫が必要であることを説明する。§2では、ノウハウ技術を文書化する場合は、特許文書と同様な【項】に分けて整理し記載するのが便利であることを説明する。§3では、複数のノウハウ技術をどのような様式でまとめて、整理するのが便利かを説明する。
行為規制方式の知的財産権(民法709条、知的財産基本法2条)としてノウハウが保護されるために最も重要なのは、トラディショナル知財に属するノウハウ文書を作成した日付の管理である。§4ではノウハウ文書の日付の管理はインターネット経由で可能なことを説明する。§5では、公証人によってノウハウ文書の日付の認証をしてもらう方法もあることを説明する。
§6ではトラディショナル知財に属するノウハウ技術は相対的独占権であることを説明する。更に§6ではノウハウ技術には、知財アウトカム(与益)論理を考慮した管理や運用が必要であることを述べる。知財アウトカム論理が教えるとおり、ノウハウ技術の情報は時間とともに陳腐化するので、ノウハウ技術のタイムリーな金銭化とノウハウ技術の更新に配慮することが必要である。
§7ではデザイン経営の一つの態様を示す。
目次
§1 ノウハウ文書の作成の手順にはノウハウが生まれる
旋盤工の小関智弘氏は、「鉄を『削る』言葉には20種近くあります。旋盤工として40年やっとこの違いを体で憶えました」と述べている(小関 智弘、『鉄を削る 町工場の技術』、ちくま文庫、(2000年)。)。第86回で説明したサピア=ウォーフの仮説からは、ノウハウ文書の作成は、小関氏のような体で憶えた微妙な違いが分かる現場の人間が最もふさわしいことになる。
現場の人間が最もふさわしいからと言っても、手順が問題になる。例えば、現場の若手の技術者が先ず、ノウハウ文書の下書きを作成し、ベテランの技術者が不足分等を補充するような手順での共同作業が好ましく、この文書作成の手順の中に、企業毎の「らしさ」等に依存したノウハウが生まれるはずである。
鉄を「削る」ときに使う言葉に関して、熟練工は1ミリ以上なら「けずる」、それ以下の精密レベルでは「さらう」や「なめる」を使う。ミリより更に小さな1ミクロン未満の精密レベルになると、「きさぐ」になるということである。旋盤工として40年して、やっと違いが体で憶えられましたということは、修行の10年目、20年目、30年目、40年目では、それぞれ見える技術の世界が異なるということである。
長嶋茂雄氏の「バァーンと振れ」という指導を理解できたのは松井秀喜氏だけと言われるが、松井氏も最初は理解できなかったようである。よって、未熟なレベルの技術者が最初にノウハウ文書を書き、次第に熟練工が書き加えて行く手順の方が、良いノウハウ文書になるというのが、サピア=ウォーフの仮説が教えるところである。
2016年8月5日にNHKが放送(再放送2025年10月6日)した連続テレビ小説 「とと姉ちゃん」では、常子たちの書きかけの原稿を見て、編集者・花山伊佐次は常子たちの書いた原稿通りに、料理の経験のない水田にホットケーキを作るように指示する。すると、細かいニュアンスが伝わらず、水田が失敗してしまうエピソードが紹介された。
そこで、誰でも同じものが作れるようにと、編集者・花山が、写真を使うことを提案したというNHKのストーリであった。ノウハウ文書の作成手順でも同じであり、写真等の画像データを技術説明に用いることが重要で、文章だけで説明しようとするのは危険である。
§2 ノウハウ技術は項に分けて整理し記載する
上述したとおり、ノウハウ文書のそれぞれには、画像データ等の図面を添付書類とすることが好ましい。従業員の退職時に持ち去られては困るノウハウや、盗まれては困るノウハウはトラディショナル知財に属するノウハウということになる。
ノウハウ技術を従業員の退職時に持ち去られないようにする為には、一人の従業員に特定の製品の全プロセスを担当させないようにするのが好ましく、より好ましくは別の工場、又は別の建屋で部分プロセスを担当させるするのが好ましい。そして、図1に示すように、前工程のノウハウ文書(ノウハウ書1)、中間工程のノウハウ文書(ノウハウ書2)、後工程のノウハウ文書(ノウハウ書3)に分けて、互いに秘密に且つ独立して作成するのが好ましい。
自社が複数の製品にそれぞれノウハウ技術を保有する場合は、ノウハウ技術のそれぞれにおいて、ノウハウ書1~3のように整理し、互いに独立して秘密に記載することになる。前工程、中間工程、後工程に分けられない場合であっても、複数の製品のすべてを一人の従業員に担当させないようにするのが好ましく、自社が保有するノウハウ技術のそれぞれにノウハウ文書は整理して、秘密管理可能なように記載される。
ノウハウ文書1~3等はそれぞれ、特許と同様に、図1に示すような「項分記載」の文書にすることが好ましい。
【図1】自社が保有する技術のそれぞれをノウハウ文書として整理する
ノウハウ文書の作成に関して決まった書式はない。しかし、図1に示したような「背景技術」/「解決しようとする課題」/「課題を解決するための手段」/「ノウハウ技術の効果」と、起承転結をなすように段落分けした項分記載の様式が望ましい。
特許出願書類とノウハウ文書の違いは、特許出願書類は特許庁に提出し公衆に公開されるが、ノウハウ文書は秘匿されるということだけであり、そこに記載される技術内容は、どちらも同じ様式で構わない。
特許出願書類が公衆に公開されるという意味から、安易に製造方法に関する特許を出願しないようにする注意が必要である。権利侵害の立証は権利者側がする必要があるので、製造方法を公衆が自由に閲覧して模倣可能であるのに、製造方法に関する特許の権利行使は極めて困難である。
筆者のところにも、製造方法に関する特許を取得したが、権利行使できないので困っていると言う相談が何度もあるが、その度に「なぜ製造方法に関する特許を取得したのですか。製造方法に関する特許を取得したことが間違いです」と答えている。
2019年の第198回国会経済産業委員会で、公明党の富田茂之議員が、「特に製法特許や装置の特許に関する侵害行為のように、侵害行為が侵害者の工場内で行われ、外部にあらわれにくい場合等、証拠が侵害者側に偏っており、特許権者が侵害の証拠を入手しにくい場合が一般の民事訴訟に比べて多いと言えると思います。このような場合、特許権者は、自己の権利が侵害されているのではないかという疑念を抱きながらも、具体的な証拠を入手することができないため、訴訟提起を断念し、いわゆる泣き寝入りとなる場合も多いと思われます。」と質問している。
富田議員は弁護士である。
この質問に対し、当時の特許庁長官の宗像直子氏が、「特に、今御指摘のあった製法に関する特許などについては、侵害されたことを立証する証拠をなかなか集められないなどの声が寄せられております」と回答しているように、製造方法に関する特許の権利行使は極めて困難であるので、特許出願しないで、ノウハウとして秘匿することが極めて重要になる。
このコラムの第40回で既に説明しているように、製造方法で「もの」を特定するような書き方も、製造方法に関する特許と同様に権利行使が困難になる性質を有しているので、注意が必要である。
https://mbp-japan.com/aomori/soh-vehe/column/201180/
図1の項分記載において、背景技術から解決しようとする課題を導くステップには、J-PlatPatによる特許検索で既存の技術のレベルを調査することが重要になることは、特許出願書類の作成手順と同じである。
§3 複数のノウハウ技術をどのように整理するか
先ず、盗まれては困るトラディショナル知財に属するノウハウについて考えてみる。
各社には必ず複数のノウハウ技術があるはずなので、それをどのように整理して、行為規制方式の知的財産権(=法律上保護される利益に係る権利)に高めるのかが重要である(民法709条、知的財産基本法2条)。そのためには、図2に示すような特許文書の特許請求の範囲と同様な、「秘匿技術の範囲」を記載した「纏めの欄」又は「纏めの書面」を用意するのが好ましい。
実は、特許の「特許請求の範囲」は、1474年のヴェネチア共和国条例(世界最初の成分の特許法)や1624年の英国専売条例(今日まで引き続き施行されている特許法としては最古)には存在していなかった。1790年のアメリカ連邦特許法の制定当時にも「特許請求の範囲」は存在していなかった。
1822年のエヴァンス対イートン(Evans-Eaton)事件で米国最高裁は、特許の明細書には(1)実施可能要件に対応する部分を公衆に開示する目的と、(2)自己の権利として主張し、他人の侵害行為を排除でき、従来技術の内容と識別した技術的範囲を明示できる特別の技術的特徴を記載する目的の2つの目的があると判示した。この判示を受けて、米国で特許請求の範囲(クレーム)の法律的規定がされたのは、1836年の米国特許法からである。
【図2】各ノウハウ技術には、纏めを記載する
エヴァンス対イートン事件では、エヴァンスの特許は明細書が具体的な改良点と従来技術の境界を十分に描写していなかったため、特許が広範囲に過ぎて無効であると判断された。ノウハウ技術においても、具体的な改良点と従来技術の境界の見極めや描写が必要になる。
不正競争防止法第2条第6項の営業秘密の3要件となっている非公知性は、公然と知られていないものという条件であるので、特許庁の審査での要求される条件よりも、不正競争防止法の要件は緩和されている。特許庁の審査では、非公知性(新規性)があることは認めるが、その非公知性の度合いは当業者が容易に推敲出来るレベルであるという厳しい条件が問題となる。つまり、特許庁の審査では、当業者が容易推敲可能であるので、特許を認めることはできないという拒絶が非常に多い。
例えば、特許庁の審査では、新規性は認めるが「単なる数値限定」や「単なる設計的事項」に過ぎないという判断基準で、当業者が容易に推敲可能なレベルであるとして拒絶される場合が多い。これに対し、ノウハウ文書の場合であれば、数値が異なる技術であれば、不正競争防止法第2条第6項の非公知性が認められる可能性が高い。
よって、特許出願しても登録されないレベルの技術内容であっても、不正競争防止法第2条第6項の要件を満たすノウハウ技術になる場合がある。
非公知性の条件を担保するためには、J-PlatPatの特許検索をする作業を習慣とし、当業者がどのレベルにいるのかを常に監視している必要がある。
このような事情から、トラディショナル知財に属するノウハウ技術の秘匿に際しては、自己のノウハウの権利として主張して他人の侵害行為を排除できる技術的範囲はどこかについて、従来技術の内容とは識別できる技術としてノウハウ技術を纏め、図2に例示する態様で、ノウハウ文書に特別の技術的特徴を明示しておくことが好ましい。
なお、図2は単なる例示であり、他の様式の纏め方でも構わない。いずれにせよ、図1で「背景技術」/「解決しようとする課題」/「課題を解決するための手段」/「ノウハウ技術の効果」の起承転結を説明したが、不正競争防止法第2条第6項の非公知性が認められなければ、せっかくノウハウ文書を作成したとしても、不正競争防止法による保護を受けられず、「役立たずの知的財産」になる。
「役立たずの知的財産」とは、せっかく、自社の「らしさ」を示す無形資産として存在し、知的財産権たり得る特徴を備えているのにも関わらず、纏め方が稚拙であるため、その知的財産権としての法的な利益を享受できないという意味である。
§4 ノウハウ文書の日付の管理はインターネットで
第86回等で説明したように、適切に管理されたトラディショナル知財に属するノウハウは、知的財産基本法第2条第2項や民法第709条に定める行為規制方式の知的財産権(=法律上保護される利益に係る権利)として保護される。
ノウハウを知的財産権として管理する上で最も重要なのは、不正競争防止法の裁判でそのノウハウが保護できるか、ということである。不正競争防止法の裁判で重要になるのは、ノウハウ文書を作成した日付と、その日付のノウハウ文書の内容が改竄されていないという事実の立証である。
不正競争防止法第2条第6項の要件が充足されていることが前提であるので、第2条第6項の秘密管理性が前提条件として特に重要となる。よって、ノウハウ文書は鍵をかけて特定の人のみが閲覧できるように管理することが前提条件となる。その上で、ノウハウ文書を作成した日付と、その日付のノウハウ文書の内容が改竄されていないという事実の立証ができなければ、裁判において、ノウハウに係る技術が盗まれたことを説明できない。
ノウハウ文書の日付の立証は、図3に示すようにインターネット経由で、ノウハウ文書にタイムスタンプを押すことにより可能である。
【図3】ノウハウ文書の日付の管理にはTSAによるタイムスタンプが便利
図3のタイムスタンプを押す手順では、先ず、ノウハウ文書を作成したらPDFファイルにするところから始まる。そして、図3のステップS1でPDFファイルの指紋であるハッシュ(hash)値をハッシュ関数(hash function)を用いて生成する。さらに、ハッシュ値(メッセージダイジェスト)を総務大臣が認定したTSAにインターネット経由で送付して、TSAに対しタイムスタンプの発行要求をする。
ハッシュ関数は、任意の長さの電子データ(デジタルデータ)から固定長のハッシュ値を算出する関数である。"hash" の語は、「切り刻んで混ぜる」という意味であり、典型的なハッシュ関数では、入力の定義域を多数の部分に「切り刻み」、キーの分布が値域で一様になるように「混ぜた」形で出力する。例えば、元データのバイナリ表現を使い、それを複雑に操作し128~512ビットのハッシュ値が作られる。
入力側のPDFファイルからハッシュ値は容易に算出できるが、ハッシュ値から入力側のPDFファイルを再現する逆演算は計算量的にほぼ不可能(一方向性)である。又、入力側のPDFファイルが変わるとハッシュ値が必ず変わる(非衝突性)という特性を持っている。このことから、ハッシュ値は電子データの「指紋」に例えられる。
図3のステップS2では、総務大臣認定のTSAが事業者(利用者)から送付されたハッシュ値に時刻情報(タイムスタンプ)を偽造できないようにして結合したタイムスタンプトークンを事業者(利用者)に送付する。
図3のステップS3での照合検証は、入力側のPDFファイルからからハッシュ値を計算し、それとタイムスタンプトークンに含まれているハッシュ値と比較する。上述したように一方向性があり、ハッシュ値から入力側のPDFファイルを再現する逆演算は不可能である。原データであるPDFファイルであるPDFファイルのハッシュ値と、TSAから送られてきたタイムスタンプトークンに含まれているハッシュ値が一致していれば、PDFファイルに記載されたノウハウ文書はタイムスタンプに含まれている時刻以降改ざんされていないこと証明できる。
なお、INPIT(工業所有権情報・研修館)がタイムスタンプ保管サービスを2017年3月から開始していたが、残念なことに2021年3月末で終了してしまった。2021年でINPITがサービスを終了した理由は、主に利用率が約0.01%と低迷し、維持・運用に多大のコストがかかった為らしい。しかし、2020年5月からWIPO(世界知的所有権機関)が同趣旨の「WIPO PROOF」サービスを開始しているので、ノウハウ文書の自社での保管に不安のある企業は、「WIPO PROOF」サービスを利用し、タイムスタンプを管理するのがよいと思われる。
§5 公証人にノウハウ文書の日付の認証をしてもらう手もある
図3に示すようにインターネット経由で総務大臣認定のTSAにタイムスタンプを押してもらう他、公証人に日付情報を付与してもらえば、ノウハウ文書が確定日付のある証書(私書証書)とみなされる。
公証人は、国家公務員法における公務員には当たらないが、「公証人法」に基づき、法務大臣が任命する実質的意義の公務員である。公証人の職務は守秘義務を負い(公証人法4条)、法務省の監督に服する(公証人法74条)。公証人には職務専念義務があり(公証人法5条)、弁護士や司法書士が兼職することはできない。
公証人は70歳まで勤務することができるため65歳の定年後の裁判官、検察官、および法務省職員など法務省を退職した後に就くことが多い。弁護士出身者も公証人に任命されることができるが、弁護士出身の公証人者は非常に少ない。
公証人は全国各地の公証役場で公正証書の作成、定款や私署証書(私文書)の認証、事実実験、確定日付の付与などを行っている。公証役場数は全国で役300箇所ある。
青森県内の公証役場は以下の3箇所である;
青森公証人合同役場 青森市長島1-3-17 阿保歯科ビル4階
弘前公証役場 弘前市大字新町176-3
八戸公証役場 八戸市大字廿三日町28 八戸ウエストビル201
公証人に日付情報を付与してもらう場合、1件につき700円程度の費用が発生し、公証役場の事務取扱時間も平日の8:30~17:00に限定されていると思われるので、インターネット経由でTSAにタイムスタンプを押してもらう方が便利であろう。
§6 偶然の一致と技術の陳腐化に注意
ノウハウ文書の作成の日付の管理をしたとしても、トラディショナル知財に属するノウハウ技術は同じ技術内容が併存可能である相対的独占権であることと、ノウハウ技術の情報は時間と共に陳腐化することに、注意と対策が必要である。
(6.1)相対的独占権と絶対的独占権
このコラムの第85回及び第86回等で、知的財産権には、知的財産基本法第2条第2項前段に規定する権利付与方式(権利創設方式)による権利と、後段に規定する行為規制方式(行為規整法)による権利があると述べたが、行為規制方式による権利は、相対的独占権と言われる。「相対的独占権」とは、他人が独自に創作したものには支配権が及ばない相対的な権利という意味である。
トラディショナル知財に属するノウハウは、不正競争防止法による保護が可能である行為規制方式による知的財産権であるが「ものまねをしてはいけない権利」としての相対的独占権である。よって、ものまねをしていない限り、ノウハウ技術として、同じ技術内容が併存可能である。
不正競争防止法第2条第6項はノウハウ技術は技術内容が非公知であることを条件にしているので、仮に同じ技術内容が併存していても、互いに知ることは出来ず、知的財産権の併存の判断が出来ない。
一方、権利付与方式の知的財産権には、登録方式の権利と非登録方式の権利の権利がある。登録方式の権利には、特許権等の創作保護目的の権利と商標権等の信用保護目的の権利があるが、非登録方式の権利としては著作権が該当する。
登録方式の権利は、「知らなかったではすまされない権利」であり、絶対的独占権と呼ばれる。絶対的独占権では、知らなかったではすまされないようにするために、登録をして公衆に公開している。絶対的独占権は、客観的内容を同じくするものに対する絶対的な支配権であり、偶然であっても、同じ技術内容の併存は不可能である。
非登録方式の権利の権利である著作権は、相対的独占権であり、ものまねをしていなければ、同じ内容の著作物が併存可能である。
(6.2)ノウハウの陳腐化
金沢工業大学の菊池純一先生が提唱する「知財アウトカム(与益)論理」は、知的財産を単なる「権利(実物資産)」として守るだけでなく、「事業に貢献する成果(アウトカム)」を生み出す「与益(よえき)」として活用する、経営視点の知財マネジメント論である。この知財アウトカム論理では、知財は「資産」としてではなく「利益を生む力」の視点に変換されている。
知財アウトカム論理によれば、ノウハウは、事業の成功、市場支配力、高利益率という利益を与えるための源泉となる。よって、ノウハウ技術を使って如何に自社に有利な事業環境を作るかという課題が重視され、ノウハウ技術でどのような利益率向上、シェア拡大、技術指導料収入等を生み出すかを明確にする「攻めの知財」が求められる。
ノウハウ技術が市場でどのような競争優位性を持つかの観点からは、ノウハウ技術の陳腐化を考慮する必要がある。いくらノウハウとして秘匿していても、同様な技術は時間と共に誰かが創出し、時間と共に陳腐化するということに注意が必要である(J. Kikuchi, “Outcome Management of Intellectual Assets”, International Journal of Intellectual Property, Law, Economy and Management 1 (2005), pp47-51)。
よって、ノウハウ技術が陳腐化する前に、ノウハウ技術を技術指導料等の形式で金銭的利益に変えることと、ノウハウ技術の時間に伴う更新が必要である。技術は技術開発や研究による更新の速度を競っており、その更新の速度が事業に貢献するアウトカムを生み出す与益となるのである。
アウトカムを生み出す与益となるノウハウにはトラディショナル知財に属するノウハウとデザイン経営に属するノウハウがありうる。技術指導料等の形式で金銭的利益を得るノウハウや、陳腐化の初期段階のノウハウは、デザイン経営の範疇に属するノウハウがあるものと考えられる。
単に「自社にはノウハウ技術がある」と思っているだけでは、何ら事業に貢献するアウトカムを生み出す与益とはなり得ないということを良く理解しなければならない。この理解には、トラディショナル知財に属するノウハウなのか、デザイン経営に属するノウハウなのか、というノウハウの範疇を分別することが含まれる。
§7 権利付与方式の権利の存続期間満了とデザイン経営
デザイン経営の一つの側面は、従来型の知財権(トラディショナル知財)の存続期間満了後の経営への活用である。
(西尾正左衛門)
西尾正左衛門は、「亀の子束子」の特許(1913年出願の特許第27983号)や商標(登録商標第53145号)を取得して、模造品を排除しようとするトラディショナル知財を採用した。しかし、裁判にかかる費用が嵩み、トラディショナル知財としての特許は、西尾正左衛門に対し上手く機能しなかった。
そこで、西尾正左衛門はパッケージを改めて、このパッケージが「亀の子束子だ」と分かるブランド戦略に切り替え、お客さんの意識に刷り込んでいくデザイン経営を活用した。亀の子束子の特許は、1928年に存続期間が満了しているが、1912年に登録された商標は、10年毎に更新登録がされ、現在も存続している。
西尾正左衛門は、デザイン経営に切り替えてブランドを活用した結果、亀の子束子は、特許の存続期間満了の1928年の約100年後でも売れている。しかし、西尾正左衛門のブランドの内の商標権により参入障壁が用いられている部分については、トラディショナル知財である。
(特殊発條興業株式会社)
1938年に兵庫県尼崎市でスタートした特殊発條興業(株)は、2020年代のデータとして、ばね座金を月産5億7千万個と、世界のトップクラスの生産をして、高い技術力を有する。
ねじ・座金の業界では「波形ばね座金(波型スプリングワッシャー)」の別称としてSPAK(スパック)の名称が定着しているようである。「SPAK」は、もともとは特殊発條興業(株)の独自製品を指す造語(SPecial Application Kogyou)であったが商標登録はされていない。
SPAKは波形ばね座金の一般名称に近い形で現在広く流通しているので、SPAKの名称はトラディショナル知財の範疇を外れ、デザイン経営の知財に属するブランドである。
特殊発條興業(株)は、ばね座金に関し日本工業規格(JIS)表示許可工場(許可番号1991号)の指定を1952年に受けている。ばね座金に関するJIS B1251は1950年代に制定され、1995年版、2001年版、2018年版等の改定がある。特殊発條興業(株)の技術は。寸法、材料、機能(初期緩み止め防止)を定めたJIS B1251の規格のベースになっている。
このように、JIS規格に基づいた製品を開発・製造している態様が特殊発條興業(株)の「らしさ」を用いたデザイン経営といえよう。未登録商標であるSPAKが一般名称化した背景には、JISの規格が関係しているようであるが、JISの規格を介して、独占排他権による保護が不要なブランドや技術が活用されている一例になると思われる。
特殊発條興業(株)は、主力製品の波型ばね座金(SPAK)の自動製造装置の特許を1960年に取得後、波型ばね座金の製造方法をノウハウとして秘匿した。特許は存続期間が終了しているので、ノウハウが営業秘密として法律上保護される利益を有すれば、トラディショナル知財の範疇に属する。
しかし、ノウハウが法律上保護される利益を有さない場合は、トラディショナル知財の範疇を外れ、デザイン経営の知財の範疇に入ると考えられる。
辨理士・技術コンサルタント(工学博士 IEEE Life member)鈴木壯兵衞でした。
そうべえ国際特許事務所は、知的財産経営やデザイン経営のご相談にも積極的にお手伝いします。
http://www.soh-vehe.jp



