第7回 ケネディー大統領の「コンシューマー・ドクトリン」と特許
東京都の1日の感染者数が2020年12月17日に、ついに800人を超えたと発表されたが、これは都民の一部の検査結果でしかない。しかし、陽性の無症状者も多数いる。
そして、東京都の12/21現在の類型陽性者数は51,838人であるのに対し、東京都感染症情報センターの事業報告書のデータによれば、インフルエンザについては、2018 年137,262 人、2017 年 129,813 人、2016 年125,207人である。インフルエンザは無症状者は含まれていないであろう。2016~2018年において、インフルエンザの感染者数がCOVID-19の陽性者(無症状者を含む)に比し、圧倒的に多いのに、当時医療崩壊が叫ばれなかった。何かがおかしい。
前回「アフターコロナ」の時代はやってこないと述べたが、COVID-19への我が国の対応は、24カ国中下から8番目という調査結果を「フロンティア」が報じている。「不要不急の外出を避ける」というような曖昧なことしか言えない我が国の政治家や地方自治体の長では、当然の評価であろう。
感染予防と経済の両立させるのであれば、SARS-CoV-2ウィルスの非感染者の経済圏と感染者の経済圏を分ければよい。例えば、非感染者として証明されたカードやスマホの所有者のみを外出可能として、経済活動させれば、「非感染者の経済圏」と「感染者の経済圏」が分離できる。
「感染者の経済圏」は自宅待機という形でも構成可能であろう。感染者のみに非常事態宣言が発令されるのである。PCR検査で非陽性の判定を得た人のみがGo Toキャンペーンに参加できるようにすればよいのに、地域限定はあるものの、一律に「決定」や「取り消し」をする愚かさが理解できない。
なぜ我が国のトップが科学的リテラシを基軸とした考え方を持たず、非科学的なコロナ対策しかできないのであろうか。「不要不急」ではなく、SARS-CoV-2ウィルス陽性者を外出禁止にし、感染者経済圏に隔離すればよいだけのことである。
§1 24カ国で下から8番目の日本の非科学性と非論理性
§2 装置がなければ自分で創れ
§3 感染症法の「2類感染症並み」指定を解除すべき
§4 科学的リテラシがあった明治・大正時代の文化人
§1 24カ国で下から8番目の日本の非科学性と非論理性
表1は、スイスのローザンヌに拠点を置く科学ジャーナル出版社「フロンティア(Frontiers)」が、2020年の4~6月にかけて、全世界の25,000人の科学者を対象に、各国の立法府議員がCOVID-19対策を国民に通知するにあたり、科学的アドバイスを用いたと思うか(whether lawmakers in their country had used scientific advice to inform their covid-19 strategy)を、調査した結果を示すランキングである。
【表1】COVID-19への科学的対応に関する「フロンティア」の調査によるランキング
注意すべきは、表1のデータは2020年の4~6月の第2波到来前の調査結果であることと、台湾が含まれていないことである。しかしながら、日本のCOVID-19への科学的対応に対する満足度の順位は、24カ国中の下から8番目で、米国に次いで感染者が多いインド(15位)や100万人以上の感染者を出しているイタリア(16位)よりも下であることは十分に重く考えなければならない。
「フロンティア」の調査において、第1位となったニュージーランドでは76%以上の科学者が「科学的」と回答しているが、日本に対し「科学的」と回答した科学者は約42%で、約26%の科学者が「非科学的」と回答していた。2020年の4~6月の時期において、日本に「科学的」と回答した科学者が約42%もいたのかと驚きであるが、現在では「科学的」と考える科学者の割合はもっと低いであろう。
感染予防と経済の両立させるのであれば、前回述べたような、SARS-CoV-2ウィルスをその場で瞬時に発見する技術を開発して、非感染者のみで経済活動させる科学的対応をすることが重要である。しかし、総理大臣は「静かなマスク会食」、都知事も「5つの小」と、科学的リテラシとは関係のないコロナ対策を提言している。
§2 装置がなければ自分で創れ
PCR検査は、SARS-CoV-2ウィルスをその場で瞬時に発見する技術ではないし、精度にも問題がある。しかし、現状では最も有効な検査技術であろう。
2020年11月25日の衆議院予算委員会で、PCR検査が増えない理由が質問された。田村憲久厚労大臣は、「ランセットに掲載されている論文だが、(感染の)蓋然性高いところで定期的に検査をやると、当該集団から感染を29~33%減らすことができるが、一般の集団に広く検査をした場合には、接触者調査とこれに基づく隔離以上に感染を減らす可能性は低い」と答弁したが、これはPCR検査を増やしたくない理由の1つを述べたに過ぎず、PCR検査が増えない理由の回答ではない。
医学文献サービスランセット(Lancet)誌の感染症版が2020年6月16日に掲載した「CMMID COVID-19ワーキンググループ」のモデル研究では、一般集団を広く検査しても感染は5%しか減らせないが、発症者を見つけ、家族とともに隔離し、さらに接触者をトレースすれば感染を64%も減らすことができると推定している。
そもそも、感染者がどの位いるかのデータを知らずして、感染予防などできる訳がなく、「感染予防と経済の両立」はお題目に過ぎない。現在多くの無症状感染者がいることが判明しているのであるから、無症候感染者へのPCR検査が有効であるはずである。
冒頭でのべた東京都の800人という値も、定期的な無作為抽出によるサンプリングデータで校正して、母数を東京都の人口に焼き直した「東京都の推定感染者数」を同時に報告すべきである。感染者の増加の傾向も、サンプリングデータで校正すると異なる傾きになる可能性がある。日本全体の感染者数についても、同様に校正が必要である。
行政者はPCR検査の装置が足らないとか、人員が不足とかできない理由をあげているが、できないのをできるようにするのが科学技術である。なぜ「今できないことをできるようにするためには、どうしたら良いか」を検討しないのであろうか。
人間は空を飛べないと言われていたが、飛行機が飛んでいるのは科学技術の成果である。ロケットは真空中を飛べないと言われていたが、月、火星、小惑星に衛星や探索機が到達しているのは科学技術の成果である。
PCR検査の装置が足らなければ装置を増やせばよい。PCR検査をする人員が足らなければ人員を増やせばよい。PCR検査の時間がかかるなら、短くできる研究をすればよい。PCR検査の費用がかかるなら安価にできる装置や方法を開発すればよい。
我が師西澤先生は「独創研究をするためには、既にある実験装置ではだめで、自分で実験装置から自作しろ」と指導された。筆者の学生(院生)時代は、機械工場でフライス盤や旋盤を用いて機械工作する油まみれの時間が殆どであった。クリーンルームまで真夜中の作業を続けて建築してしまった。
表1のランキング5位のドイツのPCR検査数は、日本よりも大幅に多い。ドイツのPCR検査数の多い理由の1つは、医師会の認証を受けた民間の検査会社に、積極的に分析作業を行わせているためである。ドイツには認証済みの検査会社が250社あるという。認証済みの検査会社には900人の専門医と、2万5000人の検査担当者が働いており、通常24時間以内に陽性・陰性の判定を下すという。
PCR検査数そのものはそんなに難しい検査ではないはずである。どのように民間の検査会社を認証して、PCR検査をどのように運用するかの問題であろう。日本にできない訳がない。できないのは科学技術的なマインドが欠落しているのである。
そして、最も重要なのは、前回指摘したPCR検査に代わる、ウィルスをその場で瞬時に発見する技術の開発と、その研究への投資である。「装置がなければ創る」のが科学的リテラシである。
§3 感染症法の「2類感染症並み」指定は解除すべき
厚労省がPCR検査を増やさない理由は、感染症法に自縄自縛になっているのであろう。SARS-CoV-2ウィルスの素性が不明な2020年1月28日の段階では、SARS-CoV-2ウィルスを感染症法の「2類感染症並み」に指定したことはやむを得ないであろう。1月の厚生省の指定は、コレラなどを対象とした従来の感染症法のやり方を、そのまま踏襲しただけである。「2類感染症並み」の指定により、都道府県知事は無症状者に入院勧告ができる。
現在はSARS-CoV-2ウィルスの感染者の多くが無症状で、無症状の感染者が周囲にうつすことがわかってきている。厚労省は4月、病床が逼迫(ひっぱく)する恐れがあるため、無症状の場合は宿泊施設での療養を原則としたが、感染症法上の位置付けを見直すべきであろう。季節性インフルエンザと同じ5類扱いだと入院勧告はできなくなるが、現在SARS-CoV-2ウィルスによる死亡者の数は、季節性インフルエンザの死亡者の年平均より少ない。
SARS-CoV-2ウィルス「2類感染症並み」に指定したことにより、PCR検査で感染が判明すれば、たとえ無症状でも強制的に入院させることになった。このような法的な措置が、PCR検査を増やさない理由になっているのであろうが、すでに大量の自宅待機者が発生している現状において、「2類感染症並み」の指定は意味をなしていない。
日本人は法律で規制しなくてもマスクをする高い民度がある。法律による規制ではなく、SARS-CoV-2ウィルスに感染したら、自主的に外出を抑制し、家庭内隔離をするように自分を律することのできる日本人の民度に期待すべきであろう。PCR検査を増やして、PCR検査陰性のカードを所持しないと公共交通期間が利用できないようなシステムを構築すればよいであろう。
一番重要なのは、国民全員が今感染しているかいないかの科学的証拠を共有していることである。感染しているのにもかかわらず、外出してウィルスをまき散らすような人は、我が国の民度を考えれば、少ないはずである。データに基づいて検討するのが、科学である。必要なデータがないのに科学的思考ができないのはあたりまえであるし、自分が感染しているのか否かが、分からないから、ウィルスをまき散らすのである。
今感染しているか否かのデータと自覚を、国民全員が所有することにより、非感染者経済圏と感染者経済圏の間に、冒頭に図示したような「感染予防障壁」が構築され、感染防止と経済活動が両立する。
§4 科学的リテラシがあった明治・大正時代の文化人
政府が科学的リテラシを基軸とした施策ができないのは、日本学術会議にも責任があろう。年間10億円も使いながら、一体政府にどのような学術的貢献をしていたのであろうか。
森鴎外(1862-1922)、夏目漱石(1867-1916)、寺田寅彦(1878-1935)らの明治時代の文人には文系や理系の区別がない。
筆者は表1でトップにランクされるべきは台湾ではないかと考えている。その台湾のコロナ対策トップの人物から、「日本には台湾の公衆衛生の基礎を作ったあの後藤新平はいないのか?」と言われたことはこのコラムの第67回で説明した。後藤新平は、1892-93年と1895-98年の2期にわたり日本の内務省衛生局長として辣腕を振るい、その実績を買われて1898~1906年まで台湾の民政局長として台湾に派遣されている。
後藤新平がドイツに留学したとき面倒をみたのが北里柴三郎であり、北里柴三郎の先にドイツ陸軍の衛生制度を調査するためにドイツへ留学していたのが森鴎外である。
寺田寅彦は理学博士で東京帝国大学理科大学の物理の教授である。その寺田寅彦の師が夏目漱石である。熊本の第五高等学校で英語教師夏目漱石に学び、東京帝国大学理科大学で長岡半太郎から津波の研究を引き継いでいる。「天災は忘れた頃にやって来る」は、寺田寅彦の弟子中谷宇吉郎が寺田の言葉として紹介しているが、寺田寅彦は天災を地球物理学として研究していたのである。
夏目漱石は、「味の素」を発明した池田菊苗(1864-1936)から科学的な思考方法を教えられたようである。ロンドン留学において夏目漱石が1901年に5番目の下宿に移った際に、池田菊苗と下宿になっている。村岡勇の『漱石資料:文学論ノート』によれば、漱石は「観察または実験で得た印象を分析し,抽象し,またそれを総合し,一般化し,法則をつくるこれが科学である」と言っている(村岡勇編、『漱石資料:文学論ノート』、岩波書店、(1976年))。
先ず、漱石がいうように実験データが科学的リテラシには重要であるが、残念なことに、我が国の政治家や指導的立場に人たちは、感染者のデータをとろうとしないで「感染防止と経済活動の両立」を求めるという非論理的なことを平気でいっている。
与謝野晶子(1878-1942)は、数学が得意で、「数学の天才」と言われた阪本紅蓮洞(ぐれんどう:1866-1925年)に「あなたは数学の先生になれる。」と言われたそうである。与謝野晶子は、先端科学への関心が高く、『女学世界』大正6年(1917年)1月号では、女子学生への理数教育を切実に求めていた。図2に示すように、与謝野晶子の兄は、鳳テブナンの定理で有名な鳳秀太郎先生である。
【図2】与謝野晶子と鳳秀太郎
鳳秀太郎先生は日本文学に趣味をもっておられ、よく大学の中央図書館から和綴の日本文学書を借りてきて読んでおられたという。名文家で短歌も俳句もたしなまわれたというが、少しも公表されなかったという。「妹は僕より文章が旨い」と言われたそうであるが、妹の話をするのは鳳先生が好まなかったので、弟子達は避けていたという。
鳳先生は同じ大阪出身の八木秀次先生を特に目をかけてくださったようで、「欧州には見るべきものがない」と思っていた八木先生が留学先をドイツに決めたのは、鳳先生のアドバイスのようであるある。
多くの政治家が文系の出身者となっており、理系の出身者は少ない。残念ながら今の文系の人の多くには科学的リテラシが欠落している。「文化人」という言葉は戦後に出来たらしいが、1970年代からの大学受験競争の激化が、「文系」と「理系」を乖離させてしまったようである。明治時代には「学者」「学者先生」、「学識者」、「有識者」、「有識者階級」という言葉が使われており、大正時代に「知識階級」、「インテリ」が現れているが、これらの言葉は「文系」と「理系」を区別するものではない。
さて、スペイン風邪の第2流行期(1919年9月~20年7月)になる大正9年(1920年)4月5日に、三宅雪嶺(せつれい)が主宰する雑誌『日本及日本人』(政教社)の春季臨時増刊号(通巻第780号)が「百年後の日本」を特集した。1918年8月に第1流行期(~1919年7月)の始まったスペイン風邪は、1920年8月~21年7月に第3流行期を迎えているので3年間続いている。
『日本及日本人』は、明治21年創刊の『日本人』にルーツを持ち、大正初期には『中央公論』、『太陽』と並ぶ総合雑誌であった。「百年後の日本」では、学者、文学者、実業家、思想家、大学教員、地方都市の公立学校の教師、新聞社や出版社の社主、宮司、軍人、料亭の主人等の大正の文化人約370人が100年後の日本の科学技術の進歩を予想している。
「百年後の日本」の中で、東京都千代田区に「敷津医院」という医院を開業していた敷津林傑(米友協会会員)は、「郵便と電信はなくなり、皆電波にて通信す」と100年後の日本の姿をほぼ言い当てている。更に敷津氏は、「100年後の日本人は80~90歳まで生きることができるようになる」「航空機1機当たり200人乗りから600人乗りになる」とかなり正確な予言している。
糸魚川中学校長の徳谷豊之助は、「科学、医学、工芸は長足の進歩をなし、注射法に肺治療法、無線電信、地下鉄道、海底鉄道、空中旅行術などますます発達」と予想し、電話で「芝居も寄席も居なか?らにして観たり聴いたりできる」と予言している。「百年後の日本」の挿絵は、すべて日本画家出身の大野静方(おおの しずかた)が書いたものである。「對(対)面電話」のイラストが徳谷豊之助意図したものか不明ではあるが、モニター、マイク、イヤホンを備えたテレビ電話が表現されている。
八木アンテナの発明(特許第69115号)の特許出願を八木秀次先生がしたのは1925年の12月28日であるので、その5年まえに敷津林傑氏は「皆電波にて通信す」を予言し、徳谷豊之助がテレビ電話を予言していたことになる。
八木秀次先生の孫弟子に当たる西澤潤一先生が、現在のインターネットの基幹技術をなしている光通信の3要素をすべて一人で発明されている。西澤潤一先生は実験データを極めて重要視され、それは八木秀次先生からの研究の系譜である。八木アンテナの発明は、学生実験のおかしなデータを八木先生が見つけたからである。
一方、当時第一高等学校(現・東京大学教養学部)教授であった哲学者・大島正徳先生は、「学者・科学者が政治上に有力な役目をもつようになるであろう」と予言しているが、これは当たっていない。
『週刊文春』(2020年12月24日号)は、「『尾身会長を黙らせろ』菅首相逆ギレ命令」という記事を掲載しているが、きちんと感染者を識別して、非感染者のみが「Go Toトラベル」に参加できるシステムにすればよいだけである。
堀江貴文氏が、「僕は不要不急こそが人間の本質だと考えています」と述べているが、非感染者の証明があれば、非感染者は不要不急の外出が自由にできるような感染防止障壁を構築することこそ、急務であろう。
いずれにせよ不完全な情報に一喜一憂するのはやめるべきであり、大局的な科学的判断が必要である。
弁理士鈴木壯兵衞(工学博士 IEEE Life member)でした。
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http://www.soh-vehe.jp