第30回 商標の歴史:室町時代に商標の使用差止請求訴訟があった
「物の発明」をその製造方法で記述してその「物」を特定することは可能であろうか。
特許は、特許請求の範囲にその権利範囲となる「ひとまとまりの技術的思想」を文言で記載する。この特許請求の範囲の文言表現において、「物の発明」をその物の製造方法で記載する書き方がプロダクト・バイ・プロセス(PBP)型の表現方法である。
このPBP型の表現方法の方が、権利範囲が広くなるので好ましいと考えている人もいるようであるが、注意が必要である。
§1 特許出願する目的は何か:
§2 平成27年6月5日最高裁判決は「物同一説」を採用した:
§3 最高裁は特別の場合について「明確性要件」の例外を許容:
§4 審査ハンドブックの補正の示唆の危険性:
§5 PBP型の表現しかできないのは、発明者の手抜き:
§6 PBP型の表現しかできないときはノウハウで秘匿する
§1 特許出願する目的は何か:
2013年5月12日、レンジャーズのダルビッシュ有投手はアストロズ戦でメジャー通算300個目の三振を37試合目で達成した。この記録は野茂英雄投手を抜き、日本人最速で、メジャー史上でも、ドワイト・グッデンに次ぐ2番目の速さであったが、ダルビッシュ有投手は「三振を取る競技じゃないので、何も思いません」と話したという。
実際、2013年4月23日に西武の牧田和久投手はロッテ戦で、無三振で9回完封勝利を挙げており、三振を取らなくても、野球のゲームに勝つことは可能である。
図1には1964年、ビクター・H・ブルーム(Vroom)がペンシルベニア大学心理学部助教授であった当時に提案したVIE理論(期待理論)の三角形を示す。このVIE理論の考え方に沿って、特許出願をする目的を考えてみる。
VIE理論が示すように、特許出願をすることの最終目的は、企業が高い事業収益を得るためであり、特許庁の審査により特許査定されて、特許権を得ることは特許出願をすることの1次的な目的にすぎない。特許権は、企業の事業活動の道具であって、広い権利範囲というのは「道具性」の一態様に過ぎない。
この道具性で重要になるのは侵害発見や侵害の立証が容易な特許権であるかということであり、いくら権利範囲が広くても侵害の立証の立証が困難な特許権であれば、企業の事業活動の道具として意味がなくなってしまう。ダルビッシュ有投手が「三振を取る競技じゃない」と指摘していることと同じであろう。
プロクター・アンド・ギャンブル(Procter & Gamble)社のA.G.ラフリー(Lafley)は、「イノベーションは財務諸表に反映されて、初めて完了したといえるのだ」と、指摘している(A.G.ラフリー、ラム・チャラン著、齊藤聖美訳、『ゲームの変革者--イノベーションで収益を伸ばす』、2009年、日本経済新聞社参照。)。いくら権利範囲が広くても、財務諸表に反映できる特許権でなくてはならないということである。
【図1】特許出願の目的は特許査定を得ることではない
特許請求の範囲にその権利範囲となる「ひとまとまりの技術的思想」を記載するに際し、まず留意すべきは「この特許請求の範囲の文言表現で権利侵害が立証可能であるか」という点である。
特許請求の範囲に記載された「技術的範囲が広いか」という検討は、権利侵害が立証可能であるという前提で成り立つものである。場合によっては、技術的範囲が狭くても財務諸表に反映できる特許権と成り得る。
PBP型の表現形式で権利侵害が立証可能であるか否かは慎重に検討すべきである。三振を取ってもゲームに勝てなければ意味がないのと同様である。
§2 平成27年6月5日最高裁判決は「物同一説」を採用した:
図2に示すように、27年6月5日最高裁判決(平成24年(受)第1204号)以前のPBP型の請求項の書き方に対し、特許請求の範囲の請求項(以下において「クレーム」という。)に記載された製法に限定されず、物そのものを基準に判断するとする「物同一説」と、クレームに記載された製法に限定して物を捉えるとする「製法限定説」の2つが対立していた。
【図2】 平成27年6月5日最高裁判決以前のPBP型の書き方に対する考え方
平成24年(受)第1204号・第2658号の「プラバスタンチンナトリウム事件」最高裁判決では、「……特許は、物の発明、方法の発明又は物を生産する方法の発明についてされるところ、特許が物の発明についてされている場合には、その特許権の効力は、当該物と構造、特性等が同一である物であれば、その製造方法にかかわらず及ぶこととなる」として、「物同一説」を採用することを明確にした。
§3 最高裁は特別の場合について「明確性要件」の例外を許容:
しかし、この最高裁判決では、『……この観点からみると、物の発明についての特許に係る特許請求の範囲にその物の製造方法が記載されているあらゆる場合に、その特許権の効力が当該製造方法により製造された物と構造、特性等が同一である物に及ぶものとして特許請求の技術的範囲を確定するとするならば、これにより、第三者の利益が不当に害されることが生じかねず、問題がある』と判示している。
最高裁は、『すなわち、物の発明についての特許に係る特許請求の範囲において、その製造方法が記載されていると、一般的には、当該製造方法が当該物のどのような構造若しくは特性を表しているのか、又は物の発明であってもその特許発明の技術的範囲を当該製造方法により製造された物に限定しているのかが不明であり、特許請求の範囲等の記載を読む者において、当該発明の内容を明確に理解することができず、権利者がどの範囲において独占権を有するのかについて予測可能性を奪うことになり、適当ではない』と述べている。
まさに、この「権利者がどの範囲において独占権を有するのか」という明確性が欠如することがPBP型の記載の問題点である。
以上のようにPBP型の記載が不明確になることを指摘しながら、最高裁は、『他方、物の発明についての特許に係る特許請求の範囲においては、通常、当該物についてその構造又は特性を明記して直接特定することになるが、その具体的内容、性質等によっては、出願時において当該物の構造又は特性を解析することが技術的に不可能であったり、特許出願の性質上、迅速性等を必要とすることに鑑みて、特定する作業を行うことに著しく過大な経済的支出や時間を要するなど、出願人にこのような特定を要求することがおよそ実際的でない場合もあり得るところである』として、「物」の構造又は特性を特定できない例外的な場合があることを許容している。
そうして、この不可能・実際的事情を考慮して、最高裁は、『そうすると、物の発明についての特許に係る特許請求の範囲にその物の製造方法を記載することを一切認めないとすべきではなく、上記のような事情がある場合には、当該製造方法により製造された物と構造、特性等が同一である物として特許発明の技術的範囲を確定しても、第三者の利益を不当に害することがないというべきである』として、「物」の構造又は特性を特定できない例外的な場合にPBP型の記載をしても第三者の利益を不当に害しないと判示したのである。
その結果、最高裁は、『以上によれば、物の発明についての特許に係る特許請求の範囲にその物の製造方法が記載されている場合において、当該特許請求の範囲の記載が特許法36条6項2号にいう「発明が明確であること」という要件に適合するといえるのは、出願時において当該物をその構造又は特性により直接特定することが不可能であるか、又はおよそ実際的でないという事情が存在するときに限られると解するのが相当である』と、特別の事情がある場合に限り、PBP型の記載をしてもよいと結論したのである。
§4 審査ハンドブックの補正の示唆の危険性:
平成24年(受)第1204号の最高裁判決の判示内容を踏まえ、特許庁は平成27年7月6日より『物の発明に係る請求項にその物の製造方法が記載されている場合は、審査官が「不可能・非実際的事情」があると判断できるときを除き、当該物の発明は不明確であると判断し、拒絶理由を通知します』と審査基準を改定したのである。
そして審査ハンドブック2203~2205において、PBP型の記載した場合の審査の説明をしている:
2203 物の発明についての請求項にその物の製造方法が記載されている
場合の審査における留意事項
2204 「物の発明に係る請求項にその物の製造方法が記載されている場合」
に該当するか否かについての判断
2205 物の発明についての請求項にその物の製造方法が記載されている
場合の審査における「不可能・非実際的事情」についての判断。
審査ハンドブック2205の参考例1には、
「第二に、上記の特徴を有する香気発生源の構造又は特性を、測定に基づき解析する
ことにより特定することも、本願出願時における解析技術からして、不可能であった
といえます。具体的には、材料の存在状態を詳細に測定する手法としては、例えば、
走査型電子顕微鏡(SEM)、・・・ などが挙げられますが、いずれの手法においても、
あくまでも試料の表面の状態しか観測することができず、活性炭のような、多孔質体
であって内部が複雑に入り組んだ構造物の解析には、不適であります。また、X線回
折(XRD)のような分析機器を用いたとしても、香気成分が揮発してしまうため、正確
なデータを取得することはできません。このように、適切な測定及び解析の手段が存
在していなかったのが実状です」
のように、構造又は特性を測定に基づき解析し特定することも不 可能又は非実際的であることを、意見書において具体的に説明すれば、「不可能・非実際的事情」の存在が認められ、拒絶理由が解消しうる例と考えられる、との説明がある。
しかし、仮に審査ハンドブックが例示したような説明によって拒絶理由が解消したとしても、意見書において「構造又は特性を測定に基づき解析し特定することも不可能又は非実際的」と自認している以上、侵害の立証をどのようにしたら良いかという問題に直面する。
即ち、仮にPBP型の記載で特許査定され、PBP型の記載の権利が登録されたとしても、このPBP型記載の特許権の権利行使ができなくなる危険性があるのである。
PBP型の表現しかできないのは、発明者の手抜き:
更に、審査ハンドブック2205の参考例2には:
「一方、結晶性の差については、X 線回折(XRD)を用いて測定することが原理的に
は可能かもしれませんが、実際には、本願発明と従来技術の薄膜半導体素子をそれぞ
れ統計上有意となる数だけ製造あるいは購入し、XRD スペクトラムの数値的特徴を
測定し、その統計的処理をした上で、本願発明と従来技術を区別する有意な指標とそ
の値を見いださなければならず、膨大な時間とコストがかかるものです」
のように、意見書において具体的に説明すれば、「不可能・非実際的事情」の存在が認められ、拒絶理由が解消しうるとの説明もある。
しかし、XRDスペクトラムの数値的特徴を測定し、その統計的処理をした上で、本願発明と従来技術を区別する有意な指標とその値を見いだすのに、膨大な時間とコストがかかるのであろうか。
XRDスペクトラムの数値的特徴の測定は、研究者であれば当然に実施しなくてはならない事項であり、研究者の手抜きであろう。XRDスペクトラムの測定にはある程度時間は必要ではあろうが、膨大なコストがかかる測定ではないはずである。
図3に示すように、電子顕微鏡、原子間力顕微鏡、赤外分光、テラヘルツ帯分光、X線回折(XRD)、ラマン分光、クロマトグラフ等、種々の測定手段を用いて、物の構造や特性を測定して、特定することは研究者の使命である。自分の研究している物の構造や特性を知らないで、その研究者は一体何を研究しているのであろうか。
【図3】物の構造や特性を測定して、特定することは研究者の使命
このコラムの第5回、第10回、第33回で紹介したとおり、トーマス・アルバ・エジソン(Thomas Alva Edison)は、エジソン自身が設立したGE社の『電球年代記』の「電球殿堂入り発明家名簿の25番目に登場する。発明とは自己又は他人の発明の改良である。
研究者が自分の発明した物の構造や特性を知らないで、どのように改良したと説明できるのであろうか。更にその研究者は自己の発明を、その後どのように改良して、持続的・継続的な特許出願をすることができるのであろうか。
2015年にノーベル生理学・医学賞受賞を受賞された大村智北里大特別栄誉教授の偉大なところは、大村先生は化合物の構造を決める研究グループを持っていて、発明した化合物等の構造を特定して特許出願しているところである。大村先生の知財戦略には大いに学ぶところがある。
§6 PBP型の表現しかできないときはノウハウで秘匿する
すでにこのコラムの第38回で「ノウハウ文書」にタイムスタンプを押すサービスを紹介しているが、図4において分類したとおり、侵害立証が困難であれば、特許出願ではなく、ノウハウによる秘匿を検討すべきである。
侵害立証の責任は特許権者側にある。製造方法の発明は侵害立証が困難であることは良く知られていることである。製造方法は基本的にブラックボックス化を図るべきであり、安易に製造方法を開示することは避けなくてはならない。
同様に、製造方法でしか物を特定できないのであれば、ノウハウを秘匿することによる保護を検討すべきである。製造方法を特許出願で安易に開示してしまうことは、侵害立証が困難であるばかりか、その製造方法を他人に模倣されるという不利益の方が危険である。
【図4】侵害立証が困難な発明はノウハウとして秘匿すべきである
辨理士・技術コンサルタント(工学博士 IEEE Life member)鈴木壯兵衞でした。
そうべえ国際特許事務所はノウハウ文書の作成を支援します。
http://www.soh-vehe.jp