第16回 BRICSの後塵を拝している我が国の知財マネジメントの問題点
このコラムの第38回で「ノウハウ文書」にタイムスタンプを押すサービスを紹介した。ノウハウ文書という私書証書を書くこと(=見える化)により技術内容が明確になる(築像できる)。しかし、暗黙知であるノウハウ技術を「ノウハウ文書」として、形式知に変換するのは極めて難しい。
2017年5月15日放送の日本テレビ系「しゃべくり007 2時間スペシャル」において、長嶋一茂さんは「親父のアドバイスは、『一茂、バァーンと振れ』だけだった」と語っていた。
そして、長嶋茂雄さんから「バァーンと振れ」といわれて理解できたのは松井秀喜さんだけであるとも一茂さんは語っていた。ニューヨーク・ヤンキースの松井さんは、東京にいる長島茂雄さんに国際電話で素振りの音を聴いてもらい「そのスイングだ」とアドバイスを受け、その翌日ホームランを打ったという。
§1 鉄を「削る」仕事言葉には20種近くある:
§2 東北六県気象協議会が決めた7種類の雪
§3 雪の種類は200種類あるのか?
§4 素人言語学者の仮説
§1 鉄を「削る」仕事言葉には20種近くある:
ドイツの哲学者のゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル(Georg Wilhelm Friedrich Hegel)は『真理は言葉の方にあるのであるが、わたしたちの思い込む感覚的な「ある(言いたいと思っていること)」を、そのつど言葉で表現することは不可能』と言っている(G.W.Fヘーゲル著、長谷川宏訳『精神現象学』、作品社、p66-77、1998年)。
同様なことを、2017年5月14日放送のNHKサンデースポーツにおいて、シンクロナイズドスイミングの井村雅代コーチも、伊調馨さんとの対談で「言葉で伝えることは無理である。指導者は言葉をたくさん持たなければならない」と言われた。
言葉をたくさん持つということでは、元旋盤工であったノンフィクション作家小関智弘氏は、鉄を「削る」仕事言葉には20種近くあると言われている。大田区周辺の町工場において40年かけて、やっとこの違いを体で憶えたということである。
ヘーゲルは『我々は一般的な「このもの」或いは「存在する」一般を我々の前に表象している(vorstellen)のではなく、一般的なものを言葉で表現(aussprechen)しているに過ぎない』と述べている(G.W.Fヘーゲル著、長谷川宏訳『精神現象学』、作品社、p66-77、1998年)。
一般的な「削る」という言葉で匠の技術を表現することは不可能であり、町工場の熟練工は以下のような特殊な仕事言葉で微妙な仕上げの差異を表現しようと試みるのである(小関智弘著、『町工場・スーパーなものづくり』、筑摩書房、1999年、p.179-180)。
削る(けずる・はつる)
挽く(ひく)
切る
剥る(へずる)
刳る(くる)
刮ぐ(きさぐ)
揉む(もむ)
えぐる
たてる
さらう
なめる
むしる
盗む(ぬすむ)
どれも、鉄を削るときに使う言葉であるが、旋盤を使うときは「けずる」、鏨を使うときは「はつる」という。ドリルを使って鉄を削るときは「もむ」という。熟練工は1ミリ以上なら「けずる」、それ以下のレベルでは「さらう」や「なめる」を使う。ミリより更に小さな1ミクロン未満のレベルになると、今度は「きさぐ」になるということである。旋盤の熟練工は、定量的に数字を用いずに、上記のような仕事言葉の意味の使い分けを身体で覚えていて、微妙な手仕上げをしているのである。
§2 東北六県気象協議会が決めた7種類の雪:
太宰治の『津軽』の冒頭には、「津軽の雪」として、
こな雪、つぶ雪、わた雪、みず雪、かた雪、ざらめ雪、こおり雪
の7つが縦書きで右から順に、頁の真ん中に併記され、その最後には括弧書きで「東奥年鑑より」とある(太宰治著、『津軽』、津軽書房、p.4(p.5序編の前の頁))。
昭和3年(1928年)10月に東奥日報社(明治21年創刊)の創刊40周年を記念して、「東奥年鑑」の創刊号が東奥日報社から発行されている。
そして、東奥年鑑1941 年(昭和16年)の54頁にある「気象」の欄の「気象の常識」という項目のところに、風の種類に続いて、雪の種類:「積雪ノ種類ノ名称」として以下が記載されている:
こなゆき 湿気ノ少ナイ軽イ雪デ息ヲ吹キカケルト粒子ガ容易ニ飛散スル
つぶゆき 粒状ノ雪(霰ヲ含ム)ノ積モツタモノ
わたゆき 根雪初頭及ビ最盛期ノ表層ニ最モ普通ニ見ラレル綿状ノ積雪デ
余リ硬クナイモノ
みづゆき 水分ノ多イ雪ガ積ツタモノ又ハ日射暖気ノ為積雪ガ水分ヲ多ク含ム
様ニナツタモノ
かたゆき 積雪ガ種々ノ原因ノ下ニ硬クナツタモノデ根雪最盛期以後下層ニ
普通ニ見ラレルモノ
ざらめゆき 雪粒子ガ再結晶ヲ繰返シ肉眼デ認メラレル程度ニナツタモノ
こほりゆき みずゆき、ざらめゆきガ氷結シテ硬クナリ氷ニ近イ状態ニナツタモノ
昭和15年3月18日に仙台で開催された第8回樺太・北海道・東北六県気象協議会の後に東北地方の気象台・測候所が協議し、昭和16年2月から4月に北海道択捉島気象測候所で「積雪の断面調査」が実施された。その調査結果を東北六県で協議し、7種類の雪が決まり、1941 年の東奥年鑑に記載されたのである。
1998年に公益社団法人日本雪氷学会が積雪を以下の9種類に分類している(高橋修平,渡辺興亜著、公益社団法人日本雪氷学会編、『 雪と氷の疑問60 (みんなが知りたいシリーズ2) 』、成山堂書店、p.16-19)。
新雪(new snow)
こしまり雪(lightly compacted snow)
しまり雪(compacted snow)
ざらめ雪(granular snow)
こしもざらめ雪(solid-type depth hoar)
しもざらめ雪(depth hoar)
氷板(ice layer)
表面霜(surface hoar)
クラスト(crust)
上記の分類において、ひらがなのついた名称は「こしまり」「しまり」「ざらめ」「こしもざらめ」のように省略してもよいとのことである。英語の "hoar(霜 ??)" も「こしもざらめ雪」「しもざらめ雪」「表面霜」として、積雪に分類されている。
積雪は時間の経過と共に密度や氷粒子の形が変化する。この変態過程により、「新雪」→「こしまり雪」→「しまり雪」→「ざらめ雪」のように変化し、最後は融雪する。「こしもざらめ雪」や「しもざらめ雪」は、「こしまり雪」と「ざらめ雪」の間の変態の過程に存在する。
東奥年鑑 昭和16年の「気象」の欄の「気象の常識」の雪の種類の項目には、「積雪ノ種類ノ名称」の後に「降雪ノ種類ノ名称」として
こなゆき つぶゆき わたゆき みづゆき
もこの順で記載されている。
すなわち、東奥年鑑の7つの降り積もった雪(積雪)を表現するの名称のうち、「こなゆき」「つぶゆき」「わたゆき」「みづゆき」の4つは降っている雪(降雪)の様子を表現する雪の名称と重複して定義されている。日本雪氷学会の9種類の積雪の名称に東奥年鑑の4種類の降雪の名称を加えると日本の雪の名称は13種類ということになる。一方、昭和58年に廃止された農林省の旧積雪地方農村経済調査所(雪害調査所)は16種類の雪を分類していた。
1987年(昭和62年)の新沼謙治さんの「津軽恋女」では、太宰治の7つの「積雪」の名称を、作詞家の久仁京介さん(新潟県新潟市出身)がすべて「降雪」の名称に換えてしまったように聞こえるが、正確ではないので注意が必要である。歌詞では7番目が「春待つ氷雪」となっているので積雪が氷って春を待っている状態を示しているとも解釈できる。
なお、2013年に発表されたグローバル分類によれば、雪の結晶は121種類ある(高橋修平,渡辺興亜著、公益社団法人日本雪氷学会編、『 雪と氷の疑問60 (みんなが知りたいシリーズ2) 』、成山堂書店、p.2-5)。雪をモチーフにした家紋の文様が生まれたのは、桃山時代とされるが、「雪輪」「初雪」「春風雪」「矢雪」「山吹雪」「氷柱(つらら)雪」等30余種の家紋がある。
前述した小関さんの本には「江戸時代に書かれた鈴木牧之(ぼくし)の『北越雪譜』という本には、新潟県の豪雪地帯の農民が日常的に使う雪の表現が、30あまりもあることが記載されている」との記載がある(小関智弘著、『町工場・スーパーなものづくり』、筑摩書房、1999年、p.177-179)。
鈴木牧之は、1770年(明和7年)に越後魚沼郡塩沢に生まれている。1837年(天保8年)に『北越雪譜』初版3巻を刊行し、当時のベストセラーとなったということである。その初版には、下総国古河藩主土井利位(どい・としつら)が1832年(天保3年)に発行した『雪華図説』に記載された、顕微鏡観察による55種の結晶のうち35種の雪の結晶構造の描写図が収録されている(鈴木牧之著、 岡田武松監修、『北越雪譜』、岩波書店、1978年、p.19-22)。
英国のゼームス・グレイシャー(James Glaisher) が1885年に発表した雪の結晶151箇の描写図が顕微鏡写真以前の雪華図として西欧では有名であるが、日本の土井利位の方が53年早い。 「雪華図説」の結晶図の美しさが、雪華模様の家紋を江戸庶民の間で流行させたとされている。
§3 雪の種類は200種類あるのか?
カナダの女流作家マーガレット・アトウッド( Margaret Atwood)は 1972年に 「エスキモーは雪をあらわす52の呼び名を持っていた」と記載している:
“The Eskimo has fifty-two names for snow because it is important to them; there ought to be as many for love.”
(Margaret Atwood, “Surfacing”, McClelland and Stewart, (1972), p. 107)
又、米国の男性作家ブライアン・アンドレアス(Brian Andreas)は1997年に「古代エジプト人は砂をあらわす50種類の言葉を持っていて、エスキモーは雪をあらわす100種類の言葉を持っていたと読んだことがある」と記載している:
“I read once that the ancient Egyptians had fifty words for sand & the Eskimos
had a hundred words for snow. I wish I had a thousand words for love, but all that comes to mind is the way you move against me while you sleep & there are no words for that.”
(Brian Andreas, "Story People: Selected Stories & Drawings of Brian Andreas",
Story People Press (1997))
これに対して、米国で8番目に古いラトガース(Rutgers)大学言語学部のマーク・C・ベイカー(Mark Cleland Baker)教授は、2001年の著書、『言語のレシピ(The Atoms of Language)』で「雪の語彙はそんなに多くない」と述べている(M.C.ベイカー著、郡司隆雄訳、『言語のレシピ』、岩波書店、p151)。ラトガース大学は、幕末から明治にかけて何百という日本人留学生を受け入れた大学である。
『言語のレシピ』の中で、クリーブランド州立大学ローラ・マーティン(Laura Martin)教授が1986年に発表した論文が紹介されている。マーティン教授の調査によれば、雪を表す言葉の数字が歪曲と誇張によって膨らんだことが以下のように説明されている。
マーティン教授の論文には、ドイツ系アメリカ人フランツ・ボアス(Franz Boas)博士が「北米インディアンのハンドブック(The Handbook of North American Indians)」(1911年)で4種類の雪を紹介したのが最初であるとしている。その4種類の雪を表す言葉は以下のとおりである:
・「地面の雪(snow on the ground)」を「アプート(aput)」
・「降る雪(falling snow)」を「クァナ(qana)」
・「地吹雪(drifting snow)」を「ピクサポク(piqsirpoq)」
・「吹き溜まり(a snow drift)」を「キムクスク(qimuqsuq)」
マーティン教授によれば、その後1940年にベンジャミン・リー・ウォーフ(Benjamin Lee Whorf)がMITの広報誌テクノロジー・レビュー(Technology Review)の第42巻に、いい加減な間違った形の論文を掲載したのが数の膨張の原因であるとしている。
マーティン教授は、B・L・ウォーフの論文以降、更に大衆的メディアが次々と歪曲と誇張を繰り返した結果、1984年には雪を表す言葉の数字が200まで膨らんだとしている。
(Laura Martin, ‘“Eskimo Words for Snow”: A Case Study in the Genesis and Decay of an Anthropological Example’, American Anthropologist, New Series, Vol.88, No.2 (Jan, 1986), pp.418-423)
マーティン教授の主張にも関わらず、2013年1月のワシントン・ポスト紙(The Washington Post)の解説記事には、中央シベリアに住むユピック系住民は40種類の雪を表す言葉を、カナダ北東部のヌナビク地域の住民は少なくとも53種類の雪を表す言葉を持っていることが分かったとの調査結果が記載されている。
(David Robson, “There really are 50 Eskimo words for ‘snow’”, The Washington Post, Health & Science, January 14, 2013)
§4 素人言語学者の仮説:
雪を表す言葉が200まで膨らんだ元凶とされるB・L・ウォーフは、ラトガース大学のベイカー教授によって、「素人言語学者」のレッテルを貼られて蔑まれている(M.C.ベイカー著、郡司隆雄訳、『言語のレシピ』、岩波書店、p151)。ウォーフは、イェール大学の言語学者であるエドワード・サピア(Edward Sapir)教授の弟子である。
イェール大学で人類学科長を務めたサピア教授はウォーフの才能に感心し、1936年にはウォーフをイェール大学の客員研究員に指名している。しかし、ウォーフは、別に収入源がある方が好きな学問を追求できるということで、言語学を専門にしなかったとされている。
このサピア教授は、1921年に「言語は人の考え方に影響を与える」とする新しい言語観を発表した(Edward Sapir, “Language: An Introduction to the Study of Speech”, Harcourt, Brace, (1921))。しかし、ウォーフは「私がこの問題とかかわりあうようになったのは、サピア博士のもとで研究する前からのことであり」と記載しているように、独自に言語相対性仮説にたどりついたようである(B.L.ウォーフ著、池上嘉彦訳、『言語・思考・現実』、講談社、1993年、p.95)。
「サピア=ウォーフの仮説」は、サピア教授とその弟子のウォーフが共に没した後の1950年代前半から、別の学者らが呼ぶようになった言語相対性仮説である。どのような言語によってでも現実世界は正しく把握できるものだとする立場に疑問を呈する仮説であり、言語はその話者の世界観の形成に差異的に関与することを提唱しているが、ベイカー教授らは批判的である。
ウォーフは「個々の言語の背景的な言語体系(つまり、その文法)は、単に考えを表明するためだけの再生の手段ではなくて、それ自身、考えを形成するものであり、個人の知的活動、即ち、自分の得た印象を分析したり、自分の蓄えた知識を総合したりする指針であり手引きであるということがわかったのである」と述べている(B.L.ウォーフ著、池上嘉彦訳、『言語・思考・現実』、講談社、1993年、p.152-153)。
「サピア=ウォーフの仮説」に従えば、暗黙知としてのノウハウの技術の内容を「ノウハウ文書」という形式知に変換する際、どの言語体系を用いて表現するかによって、技術内容に差異が発生することになる。
中谷宇吉郎先生は、「粉雪」という言葉の意味に関連して、「このような問題を科学的に取扱うとなると今更のように『科学の言葉』の不足に悩むのである」と述べられている(中谷宇吉郎著、『雪』、岩波書店、p.77、1994年)。
小関さんは「豊かな言葉を持っている、ということは、それだけ豊かな手ごたえを持っているということに等しい。『削る』と『なめる』のちがい、『削る』と『刮ぐ(きさぐ)』のちがいを手ごたえで知っているということである。実感として知っていて、鉄を削っているのと、それを知らないで削っているのでは、まるで違う」と述べている(小関智弘著、『町工場・スーパーなものづくり』、筑摩書房、1999年、p.183)。
2017年1月に死去された英国の美術評論家ジョン・ピーター・バージャー(John Peter Berger)は、「我々のものの見方は、我々が何を知っていて、何を信じているかに深く影響される」と述べている(ジョン・バージャー著、伊藤俊治訳、『イメージ-ものの見方(ways of seeing)』、PARCO出版局、1986年、p.9)。
ノウハウの技術の内容を実感として如何に深くまで知っており、どのような仕事言葉を知っているかによって、ノウハウの見方が深く影響されるということである。よって、誰が形式知としての「ノウハウ文書」を作成するかによって、技術内容がまるで違うものになり得る危険性があることに留意しなければならない。
辨理士・技術コンサルタント(工学博士 IEEE Life member)鈴木壯兵衞でした。
そうべえ国際特許事務所はノウハウ文書の作成を支援します。
http://www.soh-vehe.jp