第30回 商標の歴史:室町時代に商標の使用差止請求訴訟があった
§1 コトラーの製品の「3つのレベル」こそが知財マネジメント
ノースウェスタン大学ケロッグ経営大学院のフィリップ・コトラー(Philip Kotler)教授は、その著『マーケティング原理』において、製品がどのような価値を持っているのかという価値構造を「3層モデル」という製品特性モデルで明確にしている (P.コトラー著、 『マーケティング原理』 第9版 ダイヤモンド社)。
図1は、コトラーの「3層モデル」に筆者が加工を加えて示したものであるが、コトラーは、中心から順に「①中核(製品の核)」「②実体(製品の形態)」「③付随機能(製品の付随機能)」の3つの層(レベル)に製品の特性をモデル化して分解している。
【 図1】
図1の中心に位置する「①中核(製品の核)」とは、「顧客が製品や効用の購入で手に入れたい価値」である。自動車で考えれば「移動する技術」の価値や「運搬する技術」の価値が相当する。3層の中間層となる「②実体(製品の形態)」は「製品の特性を構成する価値」である。自動車の外装や内装のデザイン(意匠)の価値、エンジン性能や安全装備の価値に相当する。
最外殻の「③付随機能(製品の付随機能)」は「製品の核の価値に直接的な影響は及ぼさないが、その存在によってより魅力が高まる価値」である。自動車の例では、低金利ローン、無料点検の効用、或いは納車までの期間の短さなどの価値が製品の付随機能に相当する。
§2 2層目の「製品の形態」に着目した知財マネジメントが弱い
図1に示した「3層モデル」で定義される製品の核(本質)とは、「顧客(消費者)が本当に購買するものはなにか」という問いに答えるもので、中核となる技術的な便益・効用、技術的な問題解決能力である。知財マネジメントの側面からは、特許や実用新案で提案する技術的内容が 製品の核となる本質であろう。
コトラーは、「口紅を買っている女性は、単に唇につける色を買っているのではない」とし、「工場では化粧品を造っているが、店では希望を売っている」という米国の化粧品会社レブロン(Revlon)の創業者チャールズ・レブソン(Chales Revson)氏の言葉を紹介している。 コトラーは、「製品の核は、製品全体の中央に位置づけられている」ものと述べているが、技術的な優位性が基本となるものである。
2層目の「製品の形態」とは、具体的に製品として目に見える価値として表現されたもので、製品の特徴・スタイル・ブランド(商標)名・パッケージ・品質水準などを意味する。 顧客がある製品を購買するときの選択基準には、中核となる便益(技術力)は当然のこととして、デザイン(意匠)・スタイルやブランド(商標)が重要度を増す。技術的な性能・機能にはあまり差がなくなって来ているからである。
すでに第14回で指摘したとおり、我が国の企業は、米国以外の国として、米国特許取得件数では最多の特許権を取得しているという国際的に高い技術レベルの評価と実績を長年示しながら、実際の事業面では、取得した特許権を活用して画期的な消費者製品を生み出すことに成功していない。
第14回で指摘した我が国の企業の問題は、以下の図2~図4のデータが示唆するとおり、「3層モデル」の2層目の「製品の形態」に着目した知財マネジメントにおける弱さが大きな要因となっているといえるであろう。
§3我が国はブラジルやインドよりも商標出願が少ない
たとえば、消費全体は横ばいの状況にあっても、欧州系等の高級ブランド品は購買が増加する傾向にあるように、ブランド(商標)は、製品の選択基準としてウエイトが高くなってきている。
しかしながら、図2に示すとおり、我が国の商標出願件数は、ブラジル(世界第4位)やインド(世界第3位)よりも商標出願が少ないのが現実であり、5位の韓国のさらに下位に位置する世界第6位である。
【図2】
図3は図2を基礎に筆者が、人口千人あたりに換算した商標の出願件数を示すように加工したものである。人口千人あたりの商標の出願件数の比較では、1位がスイス、2位が韓国、3位がフランス、4位が中国、5位が米国であり、やはり我が国は世界で第6位である。
【図3】
§4我が国の意匠出願数は5極特許庁の中で第4位:
第3回で西尾正左衛門が「亀の子束子」の特許(特許第27983号)や商標(登録商標第53145号)を取得して、模造品を排除しようとしたが、裁判にかかる費用が嵩み上手くいかなったという例を紹介した。
西尾正左衛門は、パッケージを改めて、このパッケージが「亀の子束子だ」と分かるようにして、お客さんの意識に刷り込んでいった結果、100年以上も過ぎた現在も「亀の子束子」は売れているということである。このように、一般消費財では、パッケージのデザイン(意匠)が重要である。
小売店頭で目立つパッケージが売り上げ増加に貢献する。技術的な品質は同じでも、パッケージのデザイン(意匠)を変更しただけで、売り上げが大幅に増加した事例は、西尾正左衛門の他にも数多くある。しかしながら、図4にWIPOのデータを一部加工して示すように、我が国の意匠出願の件数は5極特許庁の中で第4位に低迷している。
【図4】
我が国は、クリエイターやデザイナーの優秀なことは世界的に有名である。東京とその周辺だけで50万~60万人のクリエイターやデザイナーが集中しているといわれている。更に、我が国のデザイン力の大半は企業内デザイナーが担っているとも言われているが、その実態についての統計が見当たらない。
そして、奇妙なことに、1980年代には世界第1位の意匠出願件数を誇っていた我が国の意匠出願件数が、その後減少をして現在は第4位にまで落ち込んでいる。図4のデータは現在さらに減少していく傾向を示している。
1979年 工業デザイン界のノーベル賞といわれるコーリン・キング賞を受賞し、日本インダストリアルデザイナー協会理事長を努められた榮久庵 憲司氏が2015年2月に亡くなられた。日本のインダストリアルデザインにおいて数多くの業績をあげられている榮久庵氏であるが、榮久庵氏を創作者とする意匠出願は見当たらない。その他著名なインダストリアルデザイナーが我が国に多数いるが、我が国の意匠出願件数は少ない。
デザイン(意匠)を知的財産権として企業競争力に生かすことができていない我が国の知財マネジメントの将来は非常に暗いものがあると感じる。
§5 ジョブズの特許の中身は意匠特許
2011年10月になくなられたスティーブ”・ジョブズ(Steven Paul Jobs)の名前を発明者のキーワードとして特許検索すると、264件がヒットするがその8割程度が意匠特許である。
アップル社のipodは、「21世紀最大のヒット商品」と謂われることがあるが、図1に示した3層モデルの核の部分には、科学技術による発明がないと言われている。ipodは、既存技術の組み合わせによる発明である。アップル社は2層目のビジネスを念頭においた製品の形態に力点をおき、モジュールの再結合を行って、「21世紀最大のヒット商品」を実現したと言えるであろう。
アップル社で17年間にわたりデザインを担当するクリストファー・ストリンガー(Christopher Stringer)氏は、特許訴訟で、『アップルでは世界各国から集まったデザイナー16人が、英国出身のジョナサン・アイブ(Jonathan P. Ive)氏をデザイン部門責任者にして、毎週オフィス内のキッチンテーブルに集まっては商品デザインに関する議論を繰り返している』と証言している。
ジョナサン・アイブ氏は、アップルのアルマーニとも呼ばれるが、2003年6月ロンドンのデザインミュジアムが創設した「年間優秀デザイナー賞」の初代受賞者である。ジョブズの意匠特許には、その共同発明者として、ジョナサン・アイブ氏の名前が入っている。
世界各国からアップルに集まったデザイナー16人の中には、医学博士の川崎和男氏(1990-1991年)と宇多川信学氏(1992–1995年)の2人の日本人の名前が見られる。
§6 韓国車の武器は意匠か?
図4に示すように韓国の意匠出願件数は5極の中の第2位である。2006年、韓国の起亜自動車は、元アウディのドイツ人凄腕デザイナーであるペーター・シュライアー(Peter Schreyer)氏をCDO(最高デザイン責任者)としてヘッドハンティングし、ついには社長に据えてしまった。
2012年以降シュライアーは現代自動車グループのCDOも兼任している。近年の韓国車のヨーロッパ的な大胆かつ洗練されたデザイン(意匠)は日本車より上との評価もある。
§7 3層目の「製品の付随機能」における知財マネジメント:
3層目の「製品の付随機能」とは、製品の付随的な効用と便益のことである。具体的には、「取り付け、アフター・効用、保証、配達、信用供与」などであり、ビジネスモデル特許等の技術的な事項も加わり得るものである。
コトラーは「IBMは、お客の求めているのは、コンピュータそのものではなく、ソリューションであることを知り、ソフトウエア・プログラムとプログラミングそして素早い保守効用と保証を売った」と述べている。1950年代のトヨタ自動車は、消費者が買いやすいように自動車ローンを開発し、更にはアフターサービス網を整備して自動車の普及を図ったと言われている。
3層目の製品の付随機能について、コトラーは、「製品の付随機能というコンセプトを理解すると、マーケターは顧客(消費者)の全体的な消費システムに注目するようになる」と、述べているが、コトラーの製品の「3つのレベル」を意識した知財マネジメントの戦略を練り直す必要があろう。
コトラーが教示するような3層のモデルで、製品を考えることにより、自らが顧客に提供している価値を明確にすることは非常に重要である。3層のモデルで、複数の製品を比較することによって、どの部分が差別化要素なのかがわかるはずであり、我が国のこれまでの知財マネジメントはこのような配慮に欠けていたといえよう。
特にグローバルな事業展開を考える場合、他国の競合する製品との差別化が難しくなってきた局面においては、「中核(製品の核)」では勝負がつかず「製品の形態」や「製品の付随機能」あたりの勝負となるはずである。
辨理士・技術コンサルタント(工学博士 IEEE Life member)鈴木壯兵衞でした。
そうべえ国際特許事務所ホームページ http://www.soh-vehe.jp