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第1回 何が特許になるのか(進歩性という考え方)

鈴木壯兵衞

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テーマ:発明の仕方

やってみたらすぐできた発明は、特許として登録されるのは困難

§1 江戸時代末期における我が国の技術水準

我が国が列強の植民地化されず、どうして明治維新が成功したのであろうか。北海道におけるプロイセン(ドイツ)とロシアとの争い等、当時の先進国の間の力のバランスの影響も大きいであろうが、江戸時代末期における我が国の技術水準が高かったこともその理由であろう。

1828年にオランダ゙のフィリップ・フランツ・バルタザール・フォン・シーボルト(Philipp Franz Balthasar von Siebold)が伊能忠敬の日本地図を盗み、1829年に国外追放となった。1853年(嘉永6年)に米国のマシュー・カルブレイス・ペリー(Matthew Calbraith Perry)代将が率いるアメリカ合衆国海軍東インド艦隊の艦船が、伊能忠敬の地図を観ながら、浦賀にやって来たのだった。

伊能忠敬の日本地図は、幕府天文方筆頭・書物奉行高橋景保がアーダム・ヨハン・フォン・クルーゼンシュテルン(Adam Johann von Krusenstern)の『世界周航記(Reise um die Welt)』を得たいがために、見返りとして、シーボルトに与えたものであった。高橋景保は、伊能忠敬の全国測量事業を監督し援助した人物といわれる。

なお、1806年(文化3年)には高松藩の久米通賢(くめ みちかた)が、伊能忠敬よりも早く讃岐国最古の実測測量地図を作成している。久米通賢は「讃岐のエジソン」といわれ、測量器の他、1815年(文化12年)には火縄式銃を火打ち石式に改良する等の多くの発明をしている。

ぺリー代将は、3隻の船を使い、1850年代における世界最先端の三角点測量を駆使して、日本の地図を作成しはじめたが、伊能忠敬が既に作成していた日本の地図がまったく同じ精度の正確なものであることに気がついたそうである。

§2 関孝和の指導の意味するもの

我が国は、関孝和の系譜で数学のレベルが高く、江戸時代末期における三角点測量の技術水準が非常に高かったためである。ペリー代将は日本の技術レベルが高水準なことに驚き、測量を中止して引き揚げてしまったと言われている。

この情報は英国等にも流れたようである。日本が、アメリカ合衆国海軍東インド艦隊と戦端を開かず、明治維新を行う原動力となったと言われているゆえんである。

関孝和の教育の系譜は、1842年に江川英龍(36代江川太郎左衛門)が韮山代官所に開設した江川塾にも及んでいたと考えられる。江川塾には佐久間象山を最初の門人として、多数の幕末の秀才が集まった。佐久間象山は、1833年に昌平坂学問所(昌平黌)の儒官(総長)佐藤一斎に詩文・朱子学を学んだ後、1844年に主君真田幸貫から洋学研究の担当者として白羽の矢を立てられ江川英龍の下で兵学を学んだ。
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江川塾では、既に微分・積分等の砲術に必要になる数学が教えられていたということである。江川塾には米国で数学、測量技術などを身につけてきたジョン万次郎氏が、韮山代官手附として採用されていた。江川塾は後に慶応義塾の教場となった。

関孝和の生前に出版された唯一の著書『発微算法』には方程式が書かれているだけで、解答が記載されていない。したがって、『発微算法』が理解できたのは関の弟子等一部のものしかいなかった。現在の受験生の中には、数学は暗記であるというとんでもない解釈をしている生徒が多いと聞く。数学は考え方が重要であり、解答を覚えても意味がない。

§3 どういう発明が特許になる?

どういう発明が特許になるのかという質問が多い。2013年6月25日(青森)、6月26日(八戸)の「特許チャレンジ講座」の第2回では進歩性の説明をした。大正10年法では「新しさ」即ち「新規性」のみ規定されており、「進歩性」の概念(用語)は昭和34年改正法で導入されたものである。

「進歩性」とは、英国特許法のinventive step(14条1項7号) の翻訳であり、「発明的飛躍」「意外性」「斬新性」「非自明性」「独創的ステップ」「創作の困難性」等の意味である。「進歩性」というと、「技術的進歩」と紛らわしいので、昭和34年改正法で導入した概念は、あまりよい翻訳とは言えないという批判もある。

【図1】特許性判断における「進歩性」とは、非連続性であって技術の進歩性ではない

中国の特許法(専利法)では「創造性」の語が用いられている。要は、単に新しいだけでは特許されず、その新しさが、格別に優れていることが要求されているということである。

特許として登録されて独占権が付与されるためには、通常の人が、容易に思いつけない程度に、斬新な創造性がある「新しさ」でなければならないということである。

特許庁では、おおよそ、以下のような基準で、容易に思いつけない程度のレベルの発明であるか否かの創造性が判断されている:

(a)新しくても、 単なる公知技術の寄せ集めでは特許にはならない;
(b)新しくても、単なる公知技術の転用では特許にはならない;
(c)新しくても、単なる公知技術の置換では特許にはならない;
(d)新しくても、単なる公知技術の用途の変更では特許にはならない;
(e)新しくても、単なる公知技術の形状・配列の変更では特許にはならない;
(f)新しくても、単なる公知技術の数値限定では特許にはならない;

ここで「公知技術」とは既に知られている技術である。ある発明をしたとき、その発明で一番苦労した箇所(技術的要素)や特徴はどこかということが重要になる。技術分野等にもよるが、通常、3年ぐらい苦労した箇所(技術的要素)や特徴がないレベルの発明は特許になりにくい、というのが実情である。即ち、大まかな話としては、特許は単なる思いつきだけでは許可されず、やってみたら失敗続きでなかなか、できなかったものが許可されるということである。米国で高圧点火システム(1910年) 等 300以上の特許を取得したチャールズ・ケタリングは、「成功の99%は以前の失敗の上に築かれる」と述べている。

§4 「特許出願チャレンジ講座」の内容

殆どの発明は、従来知られている技術の組み合わせから成り立っている。従来知られている公知技術を基礎としていない発明は、皆無と言ってもよいであろう。このため、実際には、進歩性の判断は非常に難しく、審査官の個人差が現れる場合もある。

関孝和の指導と同様に、進歩性の判断とはどういうものであるかという、方程式の考え方の理解が重要であって、方程式の解答を暗記するのでは意味がない。方程式の解答は、用いる方程式の係数や入力変数をどう選ぶかによって異なるはずである。データは数値だけでなく、データに含まれる背景情報をどのように考慮して、どのような思想で採用するのかが最も重要なことである。

我が師西澤潤一先生(元東北大学総長)は、「特許は精神力である。審査官の拒絶理由にそのまま従うな」と指導されていた。この話を元特許庁長官の荒井寿光先生(現東京中小企業投資育成株式会社社長)に申し上げたら、荒井寿光先生も「その通りである」とのご返事であった。「特許出願チャレンジ講座」では、この辺の特許庁審査官との対応を含めて、どのように特許明細書等を記載するのがよいのかを勉強していく予定である。


辨理士・技術コンサルタント(工学博士 IEEE Life member)鈴木壯兵衞でした。
そうべえ国際特許事務所ホームページ http://www.soh-vehe.jp

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専門家

鈴木壯兵衞(弁理士)

そうべえ国際特許事務所

外国出願を含み、東京で1000件以上の特許出願したグローバルな実績を生かし、出願を支援。最先端の研究者であった技術的理解力をベースとし、国際的な特許出願や商標出願等ができるように中小企業等を支援する。

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