それでもなお・・・!(逆説の10カ条)
★今回は、
「普通とは何か?」について考える際の
「たたき台」の一つとして、
【「普通がいい」という病】
(泉谷閑示さん著)という書籍の
前半部分の一部を紹介させていただきます。
■精神科医である著者は本書で、
今まで疑うことなく信じていた
さまざまな常識や知識を、
一度ていねいに洗い直し、
「自分で感じ、自分で考える」
という基本に支えられた生き方を
回復することが必要である、
とのテーマに基づき、
さまざまな「常識」を問い直すことを
提案されておられます。
■わたしたちが「当たり前」と思っている
ことについて、非常に考えさせられる内容
になっています。
■「普通」という言葉に違和感を覚える方にも、
特に何も感じない方にも、
どちらの方にとっても、
必ず「ひっかかる」内容ではないかと
感じております。
<前半部分の一部を抜粋して
記載させていただきます。>
■「病気」と「健康」
「異常」と「正常」
それらは、一体どこで線が引けるもの
なのでしょうか。
■そもそも、はたして線を引くべきもの
なのでしょうか?
■ここから私たちの問いを
始めていくことにします。
(「異常」と「正常」について)
■「病気」と「健康」は別世界のものではなく、
連続して繋がっているものであり、
「病気」と「健康」の境目は、
実はあるようでないのです。
■病気/健康、異常/正常の境目は、
「多数派」が決めているだけのものであり、
またその線引きはあくまで相対的(また時代的)
なものなのです。
■注意すべきことは、
病気/健康、異常/正常という
「レッテル貼り」を
本人が自分自身に対して安易に
行わないようにしなければならない、
ということです。
■なぜならそれは自分で自分を規定して、
自分自身を閉じ込めてしまう
ことになるからです。
■また「ネガティブ/ポジティブ」という
「二元論の言葉」は、
「言葉の手垢」(固定観念)に
まみれていますので、
その「手垢」をどれだけ落として
みたことがあるか、
それがとても大切なことととなります。
(「普通」について)
■「どう変わりたいですか?」と
患者さんに質問すると、
「普通になりたいです。」と答える人が
たくさんいらっしゃいます。
■「普通」に生きることが幸せに違いない。
■「普通」になれば幸せになれる、と。
■たくさんの人が、
「普通」におびえ、
「普通」に憧れ、
「普通」を演じています。
■でもその背後には、
「普通」は「多数派」に密接に
結びついているに違いない、
という考えがあり、
「標準的な」「社会適応している」
という「価値観」が存在しています。
■「普通」という言葉にまとわりついている、
「普通はいいことだ」
「普通は幸せなことだ」
という手垢まみれの世俗的な価値観について
見つめなおさなければならなのです。
■また、言葉を不用意に扱うのは、
実はとても恐ろしいことでもあるのです。
■物事の真の姿を見るためには、
「言葉という道具」一つ一つについて、
付着している手垢を一度洗いなおして
みることが、
欠かせない作業になってくるのです。
※今回は「普通とは何か?」を
考える際のたたき台の一つとして、
【「普通がいい」という病】
(泉谷閑示さん著)の一部を
紹介させていただきました。
★また「普通」という言葉は、
「言葉の爆弾である」と
おっしゃられる方もいらっしゃいます。
★「普通わかるよね」
「普通でいいからね」
「普通にやっといてね」などなど、
何気ない「普通」という言葉で
傷ついておられる方がたくさん
いらっしゃいます。
☆普通に憧れる方、
普通に怯える方、
普通を演じる方、
普通に傷つけらている方・・・
⇩
いったい、「普通」って何でしょうか?