今なすべきことを振り返ると-
本日10月16日は、日本のハワイアンの父と呼ばれる灰田有紀彦先生のご命日です。例年のことですが、言問学舎塾長ブログの文章を常体のまま転載させていただきます。
9月の異常な長雨が嘘のように思えるほど、この10月は晴天つづきだ(昨日の昼頃はわずかに降ったが)。10月の青空は、「鈴懸の径」にまっすぐ結びつく。1942(昭和17)年に発売された灰田有紀彦先生ご作曲の名曲である(佐伯孝夫作詞、歌われたのは灰田勝彦先生)。歌詞を知らなくとも、メロディを聴くと「ああ、あの曲か」とうなずく方も、おられるのではないだろうか。
秋の青空が「鈴懸の径」に結びつくのは、灰田(ご兄弟の)ファンにとって悲しい思い出があるためだ。今日10月16日は灰田有紀彦先生のご命日で、亡くなられてから40年となった(1986年10月16日ご逝去)。その4年前の1982年10月26日に、弟の勝彦先生が亡くなられたのだが、ちょうどその年の秋、立教大学構内に「鈴懸の径」の歌碑が建立されることが決まっており、工事もすすんでいた。勝彦先生は歌碑の除幕式を楽しみになさっていたのに、ご容態が急変して除幕式の8日前にお亡くなりになった、という経緯である。
11月3日に執り行なわれた歌碑の除幕式では、勝彦先生に代わって有紀彦先生が除幕をなさった。その時もちろん、バックには「鈴懸の径」が流れていた。秋の青空は、有紀彦先生のご命日、勝彦先生のご命日、そして「鈴懸の径」歌碑の除幕式の思い出へとつながっている。
また40年前は、有紀彦先生がお亡くなりになったことを、出張先の蓼科にいて新聞で拝見した。その夜、社員が集まった軽い酒席で、ビール瓶をマイク代わりにして「鈴懸の径」を歌わせていただいたのが、掲載したスナップである。あれから40年。その夜の社員の中で最年長でいらした役員は、数年前に他界された。この40年のこもごもを思いながら、「鈴懸の径」と灰田有紀彦先生、勝彦先生への感謝の思いをかみしめている。
令和8(2026)年10月16日
小田原漂情


