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本日、10月26日は、灰田勝彦先生のご命日にあたります。今年で44年となりました。例年のことですが、言問学舎塾長ブログの文章を常体のまま転載させていただきます。
今年もこの10月26日、灰田勝彦先生のご命日にあたり、先生の歌を歌わせていただいた。本日のブログのタイトル「想い出のカンナ」である。昭和17年、ジャワ(現在のインドネシア)でマンゴーを売る娘を歌った「ジャワのマンゴ売り」(門田ゆたか作詞、佐野鋤作曲)をA面とするレコードのB面におさめられていた曲で、作詞、作曲とも、戦後「港が見える丘」(平野愛子唄)を書いた東 辰三である。
https://www.youtube.com/watch?v=H4GQXV9_khw
「想い出のカンナ」小田原漂情 歌唱
歌詞の内容は、戦地で負傷して内地で療養中の兵士が、青空を見て「海原(うなばら)」を、白い雲を見て「砲煙(ほうえん)」を想起して「前線(ぜんせん。すなわち戦場)」に思いを馳せるというものだから、いわゆる「戦時歌謡」に分類される。それにしてはあまりにも美しい歌だということを、この歌をはじめて聴いた時から思っていた。もちろん「戦時歌謡」は「軍国歌謡」と異なり(明確な線引きがあるわけではないが、特に当時の国策に沿って国威発揚=こくいはつよう を色濃く呼びかけている歌を「軍国歌謡」と呼んだものと考えられる)、情緒のあるきれいな歌も多いのだが、この歌の美しさは出色である。メロディーもそうだし、先ほど内容を紹介した歌詞も、いくつかの単語を(ほかに「戎衣=じゅうい。軍服」などが歌われている)ほかの言葉に置き換えれば、そのまま美しい望郷の歌になるのである。
戦時歌謡というものは、評価し、言及するのが難しい。特に昨今、困難であると感じられる。だがそれらの歌が作られ、歌われた時代に流行歌を取り巻いていた世界、国民生活がどのようなものだったかを知ることは重要である。
当時、レコードを作るためには、原料として東南アジア産のシェラックという虫が必要で、配給制だったため、軍国歌謡、戦時歌謡を歌わないとそのシェラックを確保できず、歌うこと、レコードを出すことができなかったのだと聞く。いわゆる戦時歌謡にも、歌わざるを得なかったという時代背景があったのだ。この「想い出のカンナ」を聴くとき、そうした背景を押さえておくことは、重要なことであろう。また負傷して内地で傷を癒やしている兵が一人前線を偲ぶという歌詞からも、ぎりぎりのところで信念と芸術を守った東先生のお心をも、深く受けとめたいと考える次第である。
令和8(2026)年10月26日
小田原漂情
(本文中「戦時歌謡というものは…」以降、動画中の語りの一部を引用し、書き換えたものです。YouTubeをご視聴いただく場合、内容が重複することをお詫び申し上げます。)
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小田原漂情
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