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小田原漂情

国語力に定評がある文京区の総合学習塾教師

小田原漂情(おだわらひょうじょう) / 学習塾塾長

有限会社 言問学舎

コラム

平成31年4月30日

2019年4月30日 公開 / 2021年3月1日更新

テーマ:小田原漂情

コラムカテゴリ:スクール・習い事

 あと2時間足らずで、本稿のタイトルとさせていただいた「平成31年4月30日」が終わりとなります。すなわちこの30年と4か月弱の間、私どもが親しくなじみ、自らの拠って立つ基盤と信じてきた「平成」の世が終わりとなるのです。年頭にも記しましたが、私はこの平成の御代に人生の最も壮(さか)んな時期を送れたことを、深く感謝するばかりであります。今日のこの日に、それ以外の感慨めいたことは、とうてい口にすることができません。

 しかしながら、この一日を胸に刻むために一文をしたためるのですから、少しく自分の来し方をふりかえり、行く末に思いを致すことも、ゆるされようかと思います。「昭和」から「平成」の世を迎えた時、私は25歳と11か月、ちょうどあとひと月で、26歳になるところでした。その頃は、転職して間もない学習参考書の出版社に身を置いておりました。その転職と並行するようにして、第一歌集を上梓し、歌人として生きることを、自らに課して間もない頃であったと思われます。

 三十年という時を経て、自身の年齢も五十の半ばを過ぎてみると、その間のことを一年、二年という短い区切りでふりかえることが難しくなっていることを、思わないわけに行きません。きわめて大雑把な区切り方ではありますが、三十年を十年ずつに区切ってみると、はじめの十年は、昭和の最終盤に志した通り、短歌を書くことに集中して生きていたと言っていいように思えます。35歳の時に第四歌集を出した、その頃までは、25歳で転職を考えた際の志のまま、進んでいたようです。もちろん、勤めている会社の中で年齢が上がるうちには、従業員組合の委員長職など、思いがけない変転を余儀なくされることもありましたが。

 その次の十年は、会社勤めを辞め、ニ、三の勤め先を移りながら、現在経営している言問学舎にたどりつくまでが、前半でした。そこからあとは、今度は塾の経営一本に集中しながら、自分のなすべきことをやりとげるべく、あがきつづけてきたのでしょうか。平成の三十年のうち、二つ目の十年の後半と、三つ目の十年は、ほとんどすべてが言問学舎と一体の私の人生だったのだと言うのが正しいでしょう。

 さて、それらのことを思い返しつつ、私の人生における平成の三十年間を考えると、紆余曲折、いくばくかの苦労も経験しながら、自分の生きたい道を生きて来た、得がたい三十年間だったと実感します。平成の御代が今日で終わりになるということがわかってから、ずっと思っていたことでありますが、私がこのように歩んで来られたのは、まさに平成の御代だからであり、民の安寧と平和をつねにお考え下さった、大きなおこころがあってこそのことなのではないかということだけを、今日のこの日には、記させていただきたいのです。そして改めて表明しますが、私は自分の人生のもっとも充実した時期を、平成の御代に送ることができ、この上なく幸いでありました。明日からの新しき令和の世に、私は自分のなすべきことを、子どもたちのために能う限り尽くすことで、みずからのつとめを果たしたいと考えます。


平成31年4月30日
小田原漂情

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