2016年8月9日に
6日に続き、諸般の情況をふまえ、今年は「引用」の形で、本コラムにも言問学舎ホームページの塾長ブログに書いたものと同じ文面を掲載させていただきたいと思います。通常本コラムでは「敬体」で文章を書いておりますが、以下は引用となりますので、「常体」である点、おゆるしをいただきたいと思います。
台風が九州南部に接近している今日午前、長崎では、予定通りに平和公園で、被爆後69年目の平和祈念式典が行なわれた。集団的自衛権に直接言及した田上長崎市長と被爆者代表の言葉は、その当事者に、どのように届いたか。
被爆者代表の城臺美彌子(じょうだいみやこ)さんは、命をふりしぼるような一声ずつをもって、世界の人々に語りかけられた。長崎市長は、市民社会の力が最大の力であると表明した。発せられた言葉や思いを深く受けとめる人もいれば、全く通じない人もいるのが、人間社会というものだ。そのことを思うとき、今こそ我々一人一人の考えが、そして行動が、より強く問われているのだと思わずにいられない。
この夏、私の塾では2人の生徒が、永井隆著『この子を残して』を読書感想文の題材として選んだ。すすめたわけではない。中2と小5の子たちが、自発的に塾の本棚の中から、選び出したのである。彼らがどうして、その本を選んだのかはわからない。しかし選んだ子がいて、読み、何かを感じたのだとしたら、私も全力で、その子たちの理解を助けなければならない。
この春から私立中学に進学し、夏休みだけ勉強をサポートしている別の子は、東京書籍の国語の教科書に載っている『碑(いしぶみ)』で、読書感想文を書くという。6日には、その子を含む中1の生徒4人と、建物疎開の作業中に被爆して全滅した広島二中の生徒の死を追った記録である同作品を読み、考えた。
被爆された方々の平均年齢が79歳超となり、存命の方の人数は20万人を下回ったという。だが、われわれの置かれている状況が大きく変わりつつある現在、広島や長崎のことを知り、考えようという子どもたちの心の動きがある。身の回りの小さなことを、一つずつ、積み上げること。それが集まり、社会の力となるときには、大きな力となりうるだろう。私も私教育の小さな現場ではあるけれども、なしうる限りのことをしなければならないと考える次第である。
平成26年8月9日
小田原漂情