決してあきらめずに
いま、新しい「峠」のことを書いています。三陸の鉄道のための短編(小説)連作のうちの一作で、その峠のことは前半の山場ですから、今回の作品のすべてではありません。しかし「峠」というもの、どうにも強く、私の創作意欲を惹きつけてやまないのです。
過去に最も強く惹かれたのは、碓氷峠です。1997年(平成9年)に長野(北陸)新幹線開業とともに廃止となった、旧信越本線横川-軽井沢間のEF63型電気機関車による特殊な運転方式のことを、小説2作に書きました。いま、ふたたび「北陸新幹線」と「長野新幹線」の名称が議論されるのを見て、当時のことをなつかしく思い出します。「横軽」廃止後、もうすぐ16年の年月が過ぎ去ることとなるのです(1997年9月30日に廃止)。※
いま書いているのは、岩手県の花巻から釜石に至る釜石線のルートの途中にある難所、「仙人峠」です。ここは戦後、国鉄釜石線が全通するまで、あまりの難所であるため鉄道が建設できず、峠の手前の仙人峠駅から、向こう側(釜石側)の陸中大橋駅までの間を荷物用の索道で結んで、旅客は徒歩や駕籠で峠を越えていたのだといいます。
のち、仙人峠の峠路そのものは迂回して、現在の釜石線のルートで(これも陸中大橋駅に出る手前で、180度Uターンをするような大カーブに特色がある)国鉄線が全通しましたが、並行する自動車道路もものすごいループを用いるなどして、峠越えに苦心して来た道なのです。現在は6年前に「仙人峠道路」が開通して、道路事情は大幅に改善されているようです。
私は若いころ一度だけ、冬の釜石線の全線、花巻から釜石までの旅をしたことがあり、また別の機会に、釜石線全通時の新規区間となった上有住(かみありす)駅近くの瀧観洞(ろうかんどう)に遊んだことがあります。いま、この道のことを書いていると、『遠野物語』(柳田国男)で知られる遠野を含め、もう一度あの北上山地(高地)越えの旅をしてみたいと思わずにいられません。
峠というもの、昔から人々が行き交い、憩いを求めた場でもあり、強く旅人の心を惹きつけてやまない場所なのです。
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