M&A後の最初の30日で確認すべきこと【中小M&Aの100日統合3】

M&A後、買収側の経営者が最も心配することの一つが、社員の退職です。
特に、顧客との関係を支えている営業担当者や、技術・業務に精通した社員が辞めてしまうと、買収によって引き継いだ事業の価値そのものが損なわれる可能性があります。
そこで経営者は、社員説明会で次のように伝えます。
「雇用は守ります」
「これまでどおり働いてください」
「心配する必要はありません」
それでも、社員の不安がなくならないことがあります。
なぜなら、社員が不安を感じるのは、M&Aという出来事そのものだけが原因ではないからです。自分がこれからどう扱われるのか分からないこと、そして、その不安を安心して口にできないことが大きく影響しています。
社員が知りたいのは「自分はどうなるのか」
経営者は、M&Aの目的を事業の成長や競争力の強化という視点で説明します。
一方、社員が最初に知りたいのは、もっと身近なことです。
- 雇用は継続されるのか
- 給与や賞与は変わるのか
- 現在の役職は維持されるのか
- 勤務地や担当業務は変わるのか
- 人員削減が行われる可能性はあるのか
- 買収側から来た社員が上司になるのか
- 旧経営者はいつまで会社に残るのか
「両社の強みを生かして成長します」と説明しても、こうした疑問に何も触れていなければ、社員は安心できません。
経営方針の説明と、社員の生活に関わる説明は、分けて考える必要があります。
不安の正体は「変化」より「分からなさ」
社員が変化を嫌うから、M&Aに反発するのだと考える経営者もいます。
しかし、必ずしも変化そのものを拒んでいるわけではありません。
何が変わるのか。いつ変わるのか。どのような基準で決めるのか。自分の意見を伝える機会はあるのか。
これらが分からない状態が続くと、人は悪い方向を想像しやすくなります。
経営者にとっては検討中の事項でも、社員には説明がなければ、「何かを隠している」と受け取られることがあります。
「決まっていないので話せない」と考えるのではなく、決まっていないことも含めて現在地を伝えることが大切です。
説明がない場所では、噂が情報になる
M&A後は、社員同士でさまざまな会話が行われます。
「来月から給与が下がるらしい」
「工場を閉鎖するらしい」
「管理職は全員入れ替わるらしい」
根拠のない話でも、会社から正式な説明がなければ、社員にとっては数少ない情報になります。
特に注意したいのが、買収側と旧経営者の説明が一致していない場合です。
買収側は「しばらく体制を変えない」と説明しているのに、旧経営者が「いずれ全部、買収側のやり方になる」と話せば、社員はどちらを信じればよいか分かりません。
社員へ説明する前に、少なくとも次の点は関係者でそろえておく必要があります。
- 今回のM&Aの目的
- 現時点で決まっていること
- まだ決まっていないこと
- 今後検討する事項
- 社員からの質問を誰が受けるか
すべての質問に即答する必要はありません。ただし、経営陣から異なる回答が出る状態は避けるべきです。
「何も変えません」だけでは安心できない
社員を安心させようや、「何も変えません」と言いたくなることがあります。
しかし、M&Aを行った以上、いずれ何らかの変化は起こります。意思決定者、報告方法、会計処理、人事評価など、将来にわたって何も変わらないとは限りません。
根拠のない約束は、後に制度を変更したとき、「話が違う」という不信感につながります。
次のように、範囲と時期を明確にした説明のほうが誠実です。
現時点で、雇用や勤務地を変更する方針はありません。給与や評価制度については両社の内容を確認しており、変更する場合は、理由と時期を事前に説明します。
安心させることと、将来を断言することは別です。
社員が不安を口にしない場合にも注意する
説明会で質問が出なかったからといって、社員が納得しているとは限りません。
新しい経営者を前にして、給与や雇用について質問するのは勇気が要ります。「不満を持っていると思われたくない」「質問したら評価に影響するのではないか」と考える社員もいます。
また、社員がすぐに辞めるとは限りません。表面上はこれまでどおり働きながら、水面下で転職活動を始めることもあります。
次のような変化が見られた場合は、背景を丁寧に確認する必要があります。
- 発言や提案が急に減った
- 管理職が判断を避けるようになった
- 有給休暇の取得が増えた
- 社内の集まりや会話に参加しなくなった
- 顧客情報や業務手順の共有を急に始めた
- 将来の事業計画に関心を示さなくなった
もちろん、一つの行動だけで退職の意思があると決めつけてはいけません。大切なのは、普段との違いに気づき、対話の機会をつくることです。
全社員説明と個別面談を使い分ける
社員対応は、一度の全社員説明会で終わるものではありません。
全社員説明で伝えること
全社員に共通する基本情報を伝えます。
- M&Aの目的
- 新しい経営体制
- 現時点で決まっていること
- 当面変更しないこと
- 今後の検討事項と予定
- 質問や相談の窓口
全員に同じ内容を同じタイミングで伝えることが重要です。
個別面談で確認すること
個人の業務や不安、今後の希望について話します。
- 現在担当している業務
- 顧客や取引先との関係
- 仕事上困っていること
- M&A後に不安に感じていること
- 今後取り組みたい仕事
- 会社に残るうえで気になっている条件
個別面談を、社員を評価する場にしてはいけません。最初は、買収側が社員を判断するよりも、社員から会社の実情を教えてもらう場と位置づけるほうがよいでしょう。
社員説明では四つのことを分けて伝える
M&A後の説明では、情報を次の四つに分けると、誤解を減らせます。
1.決まっていること
経営体制、会社名、雇用の取り扱いなど、正式に決定した事項です。
2.当面は変えないこと
一定期間、現在の仕組みを継続する事項です。「当面」がいつまでかも、可能な範囲で伝えます。
3.これから検討すること
人事制度やシステムなど、現状を確認したうえで判断する事項です。
4.現時点では約束できないこと
業績や外部環境によって判断が変わる可能性がある事項です。無理に安心させようとせず、約束できない理由を説明します。
この区分を明確にすると、社員は事実と未確定情報を分けて受け止められます。
信頼は「話した内容」だけでは決まらない
社員は、経営者の説明と実際の行動が一致しているかを見ています。
「皆さんの意見を聞きたい」と言いながら、面談の時間を設けない。「これまでのやり方を尊重する」と言いながら、翌日から買収側のルールを一方的に導入する。
このような行動が続けば、どれだけ丁寧な説明資料を用意しても信頼は得られません。
反対に、すべての質問に答えられなくても、持ち帰った質問へ期日どおり回答する、問題が起きたときに経営者が説明する、といった行動を積み重ねれば、社員は少しずつ新しい体制を信頼できるようになります。
社員の不安をゼロにする必要はない
M&Aという大きな変化のなかで、社員の不安を完全になくすことは難しいでしょう。
目指すべきなのは、不安を感じさせないことではありません。
社員が疑問や不安を口にでき、それに対して会社が誠実に答える状態をつくることです。
社員が辞める理由を、「変化を嫌ったから」「新しい方針に適応できなかったから」と片づけてしまえば、組織の問題を見落とします。
M&A後の退職を防ぐ第一歩は、引き留め策を考えることではありません。社員が何を失うと感じ、何が分からず、何を言えずにいるのかを理解することです。
次回は、買収側の「正しさ」を譲渡側企業へ押しつけると、なぜ組織統合が失敗するのかを解説します。


